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揺れたままでいいーー休職生活、卒業へ

今しがた、退職願いをポストに投函。
とても勇気のいる行動だった。


今日の記事は、ひたすら内省する文章になる。
この休職期間を通して得た気づきや学びを
率直につづった。


わたしの未熟さがだいぶ露呈してしまうので、正直ためらいもある。

けれど、休職生活を卒業する今
「揺れながらも一歩を踏み出す」
その後ろ姿をお見せできたら…。


心のどこかに、ほんの小さな灯りをともせたなら、それだけでうれしい。




退職願いを出すまでの葛藤

退職の意志をつたえたのは2週間前。
それから統括からくる連日の説得メールにのまれ、復職の気持ちがすこし出てしまった。


そんな中、夫がうつになり
無職になる可能性が浮上。

「夫婦ともども無職になるのか?」
――そんな恐怖が押し寄せる。

「子どもらはどうする?」
ーーそんな声も聞こえてくる。


揺れに揺れまくり、一周まわって
「もうこのまま揺れていよう」と思ったのが先週のこと。

迷いを抱えたままでもいいやん?

一人じゃないから。

そうやってすごした時間は、
とてもあたたかかった。


そして今日
ようやく退職願を出すことができた。

どっと荷が下りた心地。




病気になる前の自分

退職願いをポストに投函したとき思った。

この病は、わたしに何を伝えたかったのだろう?

……

仕事で成果を挙げていた頃の自分を思い出す。

家族面接で親子関係を改善することで、不登校の子どもが学校に通えるようになったり、
家庭内暴力のケースでは世帯分離を実現させたり。
周囲から高く評価され、学会発表の準備も進めていた。


当時の自分は、「心理の技術を駆使すれば人を救えるんだ」と信じて疑わず。
結果が出るたび、勝手に貢献感を感じていた。


でも……
時折、こんなことを思ったことがある。

これでいいのかな
彼らの心奥深くに触れる瞬間を見逃していないだろうか?

でもその違和感を、見ないふりしていた。


今ふり返ると、思い上がりに上限なし。
とても傲慢だった




病気になってからの自分

そんな中、突如休職となり、適応障害で苦しむことになる。


目覚めた瞬間、将来の不安にさいなまれ。
社会から取り残されたような感覚。

こどもたちはちゃんと学校にいってるのに、
自分だけが布団でゴロゴロしている。

なにをやってるんだ自分?
あれだけ精力的に働いてたのに
なぜここまで落ちた?
そんな風にぐるぐる考え続ける日々。

そうしてこの4か月、悩みに悩みまくって
ようやく出したこたえが「退職」。


でも、最後の最後までわたしは揺れていた。

退職願いを出すのに2週間かかり。
統括へのメール作成に1時間もかかる。


そんな自分をみて思った。
「これまでの自分なら、こんだけ時間をかけることはなかった。自分、変わってしまった……」
そんな姿を、不甲斐なく感じていた。




けれど、ふと気づいたのだ

「あぁ…自分は、クライアントの気持ち、頭では分かっていたつもりだったけど、体感ではぜんぜん分かっていなかったんだな……」と。

人のペースは、その人の状況や心の状態によって大きく変わる。
時間がかかるのは悪いことじゃない。


むしろ、揺れる自分をゆるしながら過ごすことに、意味があるのだと。

揺れにいっしょに揺れ、
痛みをともに痛み、
時の流れをいっしょに感じること


それがどれだけ尊いことだったのか。


これまでのわたしは、クライアントがかかえる「揺れ」や「痛み」に心から隣にいれてなかったのかもしれない。


もしこの病がなければ、きっとそのまま「技術に溺れた心理士」になっていただろう。





適応障害――ないに越したことはない経験。

でも、確実にわたしの魂の生活にとっては、必要な人生の曲がり角だった。

適応障害は、わたしの傲慢さを壊し、
人の痛みをともに感じることを教える「恵みの試練」だったのだと思う


くやしい、認めたくない。
けど、そう思う自分がいる。

「揺れること」――
それもまた人生の一部であり、それでいいのだと知れたこの幸い



これからわたしは無職になるし、夫もうつで仕事を辞めるかもしれない。
困難な状況は、様相を変えてまだ続くだろう。

けれど今回、『恵みの試練』と受けとめ直せたように、
これから待ちうける試練も、 そんな風にいつか受けとめられるといいな。

必ず春は訪れると。そう信じたい。