勇気を出して話し、受け入れるから繋がっていく
仲良しグループがそう簡単なものではないことを知っていた。そもそも私は1つのグループに所属するのは窮屈でみんなと仲良くしたいタイプ。
天馬が空を駆けるように自由気ままにいたい。
しかし、高校生の女子にとってグループ所属は必須だった。だから、合わないのは分かっていたが、みんなと仲良くしたい心を抑えて一緒にいた。グループに落ち着きたい子には感じるものはあったと思う。
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リーダー格の子が私の悪口を言ったのを皮切りに私を除くグループの4人に悪口を言われ始めたのは、気付いていた。
私は、悲しみより「怖いけどどうにもできないなぁ。」そんな感じ。そして外された。完全な無視と話しかければ嘲笑だけの日々。
正直、悪口を言われてまで一緒にいたいとは思わなかった。
だからすぐに自立し、休み時間は読みたい本を読んだり、ふわふわ適当な人と話していた。
そうするとリーダー格の子は私への興味を失せて、今度は違うメンバーMの悪口を言い始め、その子も外された。
私の次に外されたMからある日、急に連絡がきた。謝罪と、仲良くして欲しいということ、そして、グループの悪口を言うつもりもないと話してくれた。
ただ、私は半信半疑だった。
数ヶ月続いた嘲笑とこちらを見る厭らしい見下したような目が心に残って嫌悪感を拭えなかったのだ。受け入れる覚悟をこの瞬間は持てず、心を開けなかった。
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しかし、受け入れる覚悟はあっさり決まることになる。驚くことに彼女は、行動してくれたのだ。
翌日、リーダー格の子が外したはずのMを呼びに来た。
彼女はリーダー格の子を正面から無視し、「りりい、おはよう!あの子はもういいの。」そう言ってくれたのだ。
彼女の勇気に私は、自動的に心が開いた。
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勇気が人を動かした。私は自分でもコントロールできないほど大きな力で見る方向を一転させられた。つまり、私が積極的に受け入れたというより、受け入れさせられた感じ。
多分、人と繋がっていくことは、このように間違えた時に謝って、謝意を受け入れることなのだと思う。簡単なことで難しい。
他人を巻き込む訳でもなく、何事もなかったかのように接するでもない。正面から「ごめんね」と伝え向き合うこと、マウントを取らずに許して受け入れることは大人でもなかなかできない。
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人間、気持ちが冷めたら終わりかもしれない。しかし、違うかもしれない。
私は、心のシャッターを降ろすタイプだけど、それでもこの子を受け入れる方に一歩、踏み出せたのだから。
私が冷めているのを分かっていても、彼女は自分の軸で私に向かってくれた。それもリーダー格の子を前にしてだ。人から弾かれる恐怖と向き合うのは、どれほどの勇気だっただろう。
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彼女を通して人を受け入れられる自分になり、私は新しい景色をみた。
彼女といると周りの私に対する目も変わったのだ。気の毒そうな雰囲気が一変、自然と人の輪に溶け込み楽しむようになる。それは、彼女が、万人モテするタイプで、ずっと二人でいるのではなく、二人でみんなといられるようになったからだった。
こんな人間関係も出来るのだと、人の優しさに触れる毎日が暖かかった。
許して受け入れることを選択した先は、人の良心や優しさに感謝する日々だった。嘲笑はもう聞こえない。
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ちなみに、リーダー格の彼女は、夏休み前には全員の悪口をいい、全員が離れて一人になっていた。そして、それでも悪口を言い続けていた。