田辺聖子の万葉散歩②
さて、後編は、特にココロ動いた好きな歌を並べてみたい。
この歌はドラマチックでおかしい。「青馬」というのは白っぽい毛の馬であろう。恋人のもとへそっと訪れる男は、闇にまぎれやすい黒や栗毛の馬に乗るであろうに、よりによってこの恋人の男は、白い馬で意気揚々と来るのである。「面高夫駄」という言葉も諸説あって一定しないが、面高は顔を高くあげたさまのことらしい。夫駄はブチのことをいうか、ともいわれるが、荷を高く積み上げた馬だろうか。(中略)皇女は叱られて面を伏せ、恰好だけは謹慎の風をよそおって神妙にお叱言(こごと)を聞いている。そこへまた、遠慮もきくばりもない声でもって、やあ、遅くなってごめんよーなどと、恋人の声、皇女は無神経な恋人に腹を立てる。
訳:なんて人なの、あんたって。
あんたのために、あたし叱られてるのよ。
よりにもよってそういうときに、人目につく青馬にふんぞり返って
乗って、意気揚々とやってくるなんて、バカ、バカ、
気のきかないったら!
「おのれ」と男を呼ぶ、皇女の自由闊達な精神のうごきがさわやかでたのしい。(中略)この楽しさは古今独歩のものである。
面白いので全部、ここに、写しそうになる。
このような面白い場面を歌ったものがあるというのが驚きだ。
自分の失敗談?好きな男へののろけ?
それを鷹揚に読んでしまう万葉人の心に、感心する。
それが短歌ということか。
訳:春の苑。桃の花は紅に照りかがやいている。
その花の色に映えて明るい木の下にたたずむ乙女の、
なんとあでやかなことよ。
この歌、知ってる!やはり授業で聞いたのかと思っていたら、見ているうちに思い出した。習っていたお琴の曲が、この歌詞だった。
うちの母は、同郷に、お琴の先生がいるからと、我々姉妹に、お琴を習わせたり、社会見学で、ピアノ工房に行き、ピアノをよろめいて買うなど、はた迷惑な人だった。小学校時代、卓球部に所属していた私は、稽古事で時々部活の練習を休んだ。
「あやのんさんは、ピアノにお琴に、お嬢様だもんな」
と、顧問に皮肉られたことを思い出した。あいつ、許さん笑!
私は、一番若いからと、習いたいと一言も言ってないのに、白羽の矢が立てられ、ピアノを習いに行かされていた。
むろん、やる気は無いので練習はしない笑。先生と我慢比べのようなレッスンの時間、ほろ苦い思い出である。
しかも、全然、お嬢様、じゃねーし笑!
失礼しましたw。どこに記憶スイッチがあるかわかりません。お琴の曲でありました。節をつけて、歌えます大笑。
お母さん、有難う!万葉集だったんだね( ´艸`)💛
訳:家にある櫃に、錠をおろしてしまいこんでおいたはずの恋の奴めが、
いつのまにかとび出しておれにつかみかかってきおって……
恋はどこからやって来て、人にとりつくのであろう。男たちは自嘲をこめて恋を蔑んで「奴」と呼ぶ。古代には良民の下に奴隷があった。恋を、奴隷め、と呼んでみても、わが心はその奴隷に屈従せざるを得ない。「恋の奴」といういいかたは当時の人々に好まれたと見えて、いろんな歌に散見する。
「恋」を蔑んで「奴」と呼んだ話が面白い。じゃあ、私の大好きな冷奴って、何?と気になるが、先に進もう。
最後は一番好きな歌を2首連続で紹介する。
この歌をうっすらと覚えていた。それはこの語感のためであろう。
全部、ひらがなで書いてみる。
ひらがなで書いてみると、さらに何のことだか?という感じなのだが、この歌を、国語科の姉と、声を合わせて歌っていた記憶がある。
「こもよ、みこもち~。ふくしもよ、みぶくしもち~」
その歌った記憶だけが蘇ってきた。これは「1分間万葉集」にも載っていたことを記憶している。
国土鎮護、豊饒発展の壽(ほ)ぎ歌を巻頭に据えることで、言霊のくすしき力を信じようとしたのだろうか。
それはともあれ、この歌のゆるやかな、のびのびとした楽しさ、いかにも王者らしき風韻、こういう歌を楽しめる我々の民族的幸福を思わないではいられない。
訳:やあ、いい籠だな、いい籠持って
やあ、いい掘串だな、いい掘串持って
この丘で、菜を摘んでおいでの娘さんや、
家はどちらかな、おっしゃって下さい、
お名はなんといわれる。
この大和の国は私が征服支配しているんだよ。
私は大和の王者なのだ。
私から明かそう、私の家も名も
威あって、無邪気な明るいいい歌。
この歌の謎が解けてよかった。しかも、このおおらかさが好きだなと思った。声に出して、読んでキモチイイというのか、何の理屈かさっぱりわからないけれど、この「こもよ、みこもち~」と始まるこの歌がスキだ!
田辺聖子先生の、全文を読むと、さらにこの歌がスキになること、請け合います。
では、最後に、一番気に入った歌。
訳:新しい年のはじめに気心の知れあった友人たちが集って、
胸襟を開いて語り合うって、いや実に嬉しいじゃないか。
現代は女たちもこういう集りを持つことが多く、「思うどちい群れる」嬉しさを味わっているが、昔はその楽しさは、男のものだったかもしれない。
ちょうど、この歌を知った時、楽しい女子会の後だったので、この青年たちの新年の宴会の楽しさが身に沁みて感じられた。
私の漫画のキャラに言わせてみたいセリフでもある。
ふっと、そんなイメージが降ってきた。
田辺聖子(敬称略)の小説を20代の時によく読んでいた。
「孤独な夜のココア」。優しくてふんわりした読後感が好きだった。
田辺聖子の小説の中の、かっこいいわけでも、凄い美人でもないその主人公の何とも言えない身の処し方が、自分が全く知らない分、新鮮で、へーとかほーとか思って、仕事で疲れた慰みで読んでいた。そして、彼女を、ずっとそういう通俗小説の小説家の一人だと思っていた。
今回この本を読み、彼女の筆致に、限りなく心が持っていかれた。
万葉集という遠い世界のものが、彼女の筆致によって、自分にとって魅力ある世界にすうっと下ろされたのである。
そして、彼女の肩書を見ると、芥川賞作家だと知って、びっくりした。
彼女のことを何も知らないと気が付いたのである。
彼女の小説をもう読まなくなって、記憶から遠ざかっていた、そんな時、万葉集を通して、もう一度、彼女に出会い直したのである。
彼女の講義で、万葉集の魅力に気付かせてもらった。
この本は買って持っていたい本だと感じた。