
ランボオの顔✧♡前編
「ランボオとボードレール」粟津則雄を読んだ。
読んだけれども、2人の詩のことが分かったかと言えば、あまりわからなかった。この本は、自分の本でもない気がする。
姉の書棚から借りてきた本なのではないか?
凄い有名詩人の本だ!かっこいい!
と思って、借りてきただけで、読んでいないのだ笑。(←ミーハー)
ふと、手に取り、読み始めたら、止まらない。
決して読みやすい本ではないけれど、ランボオという詩人の奇怪さに、ぐんぐん引き込まれた。
偶然開いた「ランボオの顔」という短編から読んだのだが、この本を一冊読み通して見ると、やはり、初めに読み始めたそこが、たまらなく面白いのであった。
ランボオの顔を絵に描いてみようかなと思ったぐらい面白かった。

しかも、彼の顔が絵に描いてみたいぐらい不思議な表情だ( ´艸`)
この本の残念なところが、写真も絵も載っていなくて、どの写真と絵について語っているところがわからないこと。
それを想像しているだけでも面白いのだが、今回はこの記事に、インターネットで探した図版入りで再現してみようと思った。勝手に掲載します。
「ランボオの顔」 粟津則雄
ランボオは1862年、8歳のときに、シャルルヴィルのロサ学院に通学生として入学した。彼がおそらく10歳のころに20人ほどの他の学院生や数人の教師といっしょにとった写真が残っているが、これが、現在われわれの見うるもっともおさないランボオのすがたである。彼は前列ほぼ中央に制服すがたで座っているが、この少年から発している独特の雰囲気は一見して明らかである。「この子供の頭脳には、凡庸なるものはいっさい宿りえない」というのはランボオに感嘆した校長のことばであるが、そういう子供を、この写真ははっきりと示しているのだ。ここに見られるランボオは、鈍感凡庸なにやにやづらでないのはもとより、秀才にあり勝ちな、自己顕示欲にみちた澄ましづらでもない。10歳においてすでに、この少年は、おのれ自身の存在にあふれ、世界と対立しているようだ。同じころ、彼が書いた短文が残っているが、そのなかで彼は「ぼくは、職なんか欲しくない。ぼくは金利生活者になるんだ。」と書く。

「アレクサンドルが昔有名な人物だったということが、ぼくにとって、このぼくにとって何だというのだ?……ああ、まったくくそくらえだ!くそくらえ!ぼくは金利生活者になるんだ!」と書く。「正月なんて愚劣なものだ」と書いたのはおさないフローベルだが、これはフローベル以上にシニックで、もっと荒々しい。そして、写真のランボオは、まさしくこのようなことばをノートに書きつけそうな顔をしているのである。

次いでわれわれに示されるランボオの写真は、最初の聖体拝受のときに、一つ年上の兄フレデリックといっしょにとったものだ。この写真は、兄弟としての似通った顔立ちが作りなす凡庸と卓抜のなまなましい対照と言う点で、ほとんどいたましいほどの印象を覚えさせるものである。この兄のフレデリックは、車ひきとして世を終わり、そのために母親は終生彼を許そうとしなかったが、やがて辿るべき二人の生涯が、この面差しのなかに、凝縮したかたちでつめこまれているようだ。おさないころ、フレデリックは、友人のドラエーに弟のことをきかれて、
「アルチュールかい、あいつはすてきだよ」
と答えたらしいが、フレデリックの顔には、そういうことばのはらむ人の好さが、あらわにうかがわれる。一方ランボオのほとんど沈鬱な感じがするほどの鋭いまなざしからは、人を不安にさせるものがきらめいているのである。この頃、ランボオは、友人たちから「ちび信心屋」という嘲弄的なあだ名をつけられるほどのあつい信仰を示していたが、彼のこの写真は、この少年が、「信心」などという既成の枠のなかにおさまりうるものではないことをはっきりと感じさせるのだ。この少年は、「信心」というようなことでも、自分の心の最中心部まで導かざるをえない。かくしてその信心は、無害な慣習からはみ出さざるをえないのだ。かくして、この「ちび信心屋」は、程なく、もっとも激越な反教権主義者、反宗教主義者と化するのである。
ランボオが突如としてパリに出奔したのは。普仏戦争が始まった1870年8月のことである(ランボオ16歳)。それまは母親の意のままに従順に暮らしていたランボオのこの豹変に際して、母親は、「あのようにおとなしかったアルチュールがこんなことをするなんて信じられぬ」というのだが、ランボオの身になってみれば別に意外でもなんでもない。かつて「ちび信心屋」になったように、今度も、ある課題にその全身をさらしたにすぎないのだ。かつては母親の注意のゆきとどいた身ぎれいな服装をしていたランボオは今や長髪ぼろ服で、放浪を始めるのだ。
「破れたポケットにげんこをつっこみ、ぼくは出かけて行ったのさ。
ぼくの着ている外套も、もう名ばかりの代物だった。……
ひとつっきりのズボンには、ぽっかり穴が開いていた」
と、彼はうたう。「八日もまえから靴はぼろぼろ、石ころだらけの道のおかげだ」ともうたう。

そういう放浪のとき、時として友人のドラエーがいっしょだったが、そのドラエーの描いた当時のランボオのデッサンが残っている。もちろん写真でもなく専門の画家の手に成るのでもないこのデッサンはいかにもたどたどしいが、それだけにまた、この忠実な友人の眼に映ったランボオのすがたが生き生きと定着されているところがある。少年期から青年期に変わろうとする時期の、あの脂くさいなまぐささと、少年のかげを残した純潔さとが、ここでは奇妙な具合にとけあっているようだ。もちろん、ドラエーはそのようなものを意識的に描き出そうとしたわけではないだろうが、彼の正直な人柄がはっきりとつかみとった友人の個性がここにはあって、私はこの絵がなかなか好きである。

この短編を写真入りで記事に再現し、私が喜んでいる。そうそう、こんなふうに、写真や絵といっしょに確認しながら、この文章を読んでみたかった。短編の半分まできたが、2500字を越えたので2話に分けよう。
ランボオの詩の凄さとかよく知らぬ カッコイイのはよく知ってるけど