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早起きの目的はパフォーマンス発揮じゃない、ただ心地いいからである

私は平日は毎朝、Xで何かしらポストしている。
ここ数日は早起きのコツを発信していたら、ある違和感を感じたのでnoteで言語化してみる。

こういうポストをしていると、シゴデキビジネスマンぽい方からリプをいただくことがある。

「誰にも邪魔されない朝は最高のパフォーマンスを発揮できますよね!」

「寝る時間が遅いと朝のパフォーマンスにも影響しますよね!」

起業もされていらっしゃるような方々から、こんな私の発信に目をとめてコメントまでしていただいて大変ありがたい!
素直に嬉しい。

が、今回は2件続けて同じような内容のコメントだったので、なんとなく、違和感を感じた。

なぜか?

「パフォーマンス」という言葉が、どうもひっかかるのだ。

改めて、言葉の意味を調べてみる。

1 演劇・音楽・舞踊などを上演すること。また、その芸・演技。
2 身体を媒介とした芸術表現。演劇などのほか、特に現代美術での表現をさしていう。「前衛書道家による—」
3 人目を引くためにする行為。「街頭宣伝の—」
4 性能。機能。また、効率。「旧型でも—はいい」「コスト—」

デジタル大辞泉 (小学館)


ふむふむ。
どうも「パフォーマンス」というと、ビジネスっぽい香りがするが、それは主に4の「性能」とか「効率」の意味からきているのだろう。

つまり、先のコメントから私は、「成果」とか「実績」とか「仕事の効率」みたいなものを感じ取ったのだと思う。

…うん、それが、違和感なのよ。

別に私は朝から最高のパフォーマンスを発揮したくて早起きしてるわけじゃない。
ただ心地いいから早起きして朝活しているのだ。

確かにこうやってnoteを書いたり、習慣化の学校の課題をやったり、何かに取り組む時間ではあるから、朝の方が集中できて効率もアウトプットの質もいいのかもしれない。

でも、別にそのためにやってない。
どちらかと言えば、日中は仕事で、子供が起きているその他の時間は家事育児中心になるから、朝しか純粋な自分だけの時間がない。
そこで好きなことができる、何をしてもいい自由な時間を持てるから早起きして朝活しているのだ。

本を読む、ヨガをする、音声を聞く、散歩する、ひたすら手帳に向かって内省する…
こういう自分との対話の時間が私には必要で、それが朝というだけなんだよな。

先のコメントに違和感を感じたのは、すぐそうやって何でも仕事の成果や効率に結びつける傾向への違和感だったのかも。
成果とか目的とか生産性とか!朝活はそういうのでやってないんだよ、、

コメントくださった方もそんな他意は無いと思うのですが、、
ビジネス界隈の「パフォーマンス」という言葉ににじむ、成果主義や効率主義、能力主義の影を感じ取り、そういうのと朝活は別物なんだよー!
と、朝活に持ち込みたくない指標なんだと改めて気づいた。

ただ心地いいから。
これからも私は朝活を続ける。

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