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成長のスピードに、心が追いついた瞬間

娘ちゃんの成長が、嬉しくもあり、寂しくもあった。ひとつひとつできることが増える度に、成長を実感して微笑ましい気持ちになった。でも、その分、わたしの手からどんどん離れていく気がして、遠くに行ってしまう気がして、少し、寂しかった。たった数ヶ月でも、ぐんと成長していく我が子。それに対して、あまり何も成長していないように感じる大人のわたし。ちょっと待って、おいていかないで。わたしの想像をはるかにこえるスピードで成長していく娘ちゃんの姿を見て、そんな気持ちを抱いていた。

でも、娘ちゃんが3歳になってから、そういった寂しい気持ちが薄れた。なんというか、やっと、受け入れられるようになったのだと思う。彼女の成長を。いつまでも赤ちゃんではないということを。成長して、自分の手からどんどん離れていくという事実を。

夫と娘ちゃんが2人で会話をしていたとき。何かの拍子に娘ちゃんがやってはいけないことをした。「やめなさい。こういうときはなんて言うの?ほら、ごめんなさいは?」夫が娘ちゃんの顔を覗き込んでいったその時、娘ちゃんは大きく顔を背けながらこう言った。

「フンッ!」

夫と反対の方向に勢いよく顔を背けて、フンッ!それは、赤ちゃんのときに見ることのできなかった、小さい子の反抗のそれだった。

わたしはその光景を、食器を洗いながらキッチンから眺めていた。そして思った。

「あ、3歳だわ」

いつまでも手がかかっていた赤ちゃんとはちがう。自分の意思があって、こうしたいというこだわりがあって、良いことと悪いことの区別がついて、でも自分も思うこともあって、そんなあれこれが絡み合った上で見られた「フンッ!」だった。

こうして、どんどん大きくなっていくのだと思った。

この出来事があってから、外で小さい子を見たときに「うちの子もこんな時期があった~」なんて、あまり思わなくなった(過去のことばかり考えなくなった)。今目の前にいる娘ちゃんのことを、しっかり見られるようになった。赤ちゃんだった時期があって、幼児の今があって、これから幼稚園に入って、そのあと小学生になって、中学生になって、高校生になって、大学生になって、そして、いずれ家から出ていく。わたしたちの元から巣立っていく。まだ経験していない未来のことはどうなるかなんて分からない。だけど、順調にいけば、その流れがやってくることを、3歳になったことで、現実として受け入れた。赤ちゃんの頃は「なんとなくそうなんだろうけど、想像つかないなぁ」って感じだったけれど、その「想像」が当時よりも、より解像度が高くなったように思う。

お口が達者になって、他のお友だちと遊ぶ中で娘ちゃんの個性がどんどん分かるようになってきて、もっと大きくなったらどんな子に成長するのだろうかと俄然楽しみになってきた。

これから、娘ちゃんと共にどんな景色を見ることができるのだろう。これからたくさん彼女に待ち受けている「人生で初めての瞬間」を、一緒に見られるであろうことを、とっても嬉しく思う。

自分の人生の中で「この場面は絶対に覚えておきたい」と思えるような1ページが、たくさんたくさんあることが、きっとわたしにとっての幸せなのだと思う。だから、そんな日を、娘ちゃんと夫と、家族みんなでこれからも目一杯作っていきたい。


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あやめし
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