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どれだけやる気が出なくても最低限のタスクを処理できるのは、習慣の力のおかげ
なんかよくわからないけれど、身体がだるくてやる気が起きないことってないだろうか。わたしは今日がそれだった。
朝から全くダラダラせずに家事をこなし、ドラッグストアとスーパーをはしごして5㎏のお米を購入し、娘ちゃんを公園に連れて行って好きなだけ遊ばせるという精力的な午前中を過ごしたわたし。
そして迎えた午後、全然使い物にならなかった。エネルギーを使い果たしたのか、なんだかぼんやりしてしまって、洗濯物を畳むのに1時間もかかってしまった。全然やる気が湧いてこなかった。
きっと、昨日野球を見に行った程よい疲労感の上に今日の午前中の精力的な行動が相まって、シンプルに疲れたんだろうな、と思う。昨日も今日もとっても良いお天気だったし。快晴の中のお出かけってすごく気持ち良いけれど、太陽の光をずっと浴びているとなんだかいつも以上に疲れてしまう(気になって調べてみたら"日光を浴びた人体は、高温、脱水、紫外線などのダメージから身を守り、長時間活動するため、日光を浴びる前に比べて疲労するのです"ってGoogle先生が言ってた)。
疲れているし、やる気もないけれど、それでもちゃんと夕飯を作って、食器を片付けて、面倒くさがらずにお風呂に入って、洗濯をして、noteを書いているわたし、本当にえらい。きっとこれが習慣の力なんだろうな。別に考えなくたって勝手に身体が動いて生活に必要最低限のタスクをこなしている感じ。習慣の力は偉大だ。
こうしてnoteと書くことは、わたしにとっては歯磨きや食事や掃除や洗濯と同じ"生活に必要最低限のタスク"という位置づけ。そうじゃないと、やる気が起きないのに書いていることに説明がつかない。意味わかんないじゃん、変人じゃん。いや、そもそもnoteを書くことが"生活に必要最低限のタスク"の位置づけにあること自体が意味わかんないけれど。
とにかく、ダラダラしたいけれど、やるべきことはやらなきゃという気持ちはあるので、いつも通りの生活を送れている。きっと、これが1人暮らしで自分しかいない状況だったらそうはいかないかもしれないけれど、旦那さんがいて娘ちゃんがいて、という家族を営む母という立場なので、最低限のタスクは処理できている。母はすごい。
というわけで、とりあえずやる気が起きない中タイピングをしていたらここまで文章が書けてしまったので、今日はこの辺りで終わりにします。
今日もおつかれさまでした。
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