税込2,990円のワインレッド
お気に入りのブーツで家を出て、階段をおりるなり、足元に違和感を覚えた。歩く度に何かがぶら下がっているような、そういった重みが突如、解消され、踊り場にて宙を舞う。
あたかもステージダイブの如しーー〈当会場〉でのモッシュ・ダイブは禁止ですーー重心が行方不明に、結局のところ、ぽろりと取れた物はごとん、ごん、ごっ、と鈍い音を立てながら見る間に落ちていく。
ヒールが折れた訳ではない、靴底の部分が丸ごと綺麗に剥がれ、爪先立ち状態が奇妙な笑いを連れて来る。ややバランスを崩すも、足を滑らせる等の怪我がなくて何より。
こうしてポケットに仕舞った鍵を再び取り出し、スニーカーに履き替えると何食わぬ顔でバス停に向かう。
私が信号を待っているうちにバスがさーっと通り過ぎた。
「なんだ。いっそのこと、自転車に乗れば良かったな」
独り言ちて、黄色い車体を睨む。踏んだり蹴ったりだが、踏めも蹴れもしない先程よりかはだいぶマシだろう。
ついでに靴を落として都合よく拾ってくれる王子様もいなかった。
突然のセール価格2,990円(税込)との別れ。スエード素材でワインレッドのさりげないバックルベルト付きブーツはかつて友人から頻繁に褒められたが、社会人になってまで使い続けたら、流石に壊れてしまうようだ。
話は変わり、私がどこに行くかと言えば。
辛うじて近隣の大型商業施設内に残っていた、CDショップである。ニューアルバムを店舗で受け取るため、足取りも(仕事時と比べると)軽かった。
随分と前に予約して、忘れかけた頃に到着を知らせるメールが届く。
その昔、いつまで経っても商品が〈発送〉にならないというトラブルに巻き込まれ、通販はどうも苦手だった。
私はあれを楽しみに、日々生きている。
職場の人に好きな音楽を聞かれた際、
「なんでサブスクにないの。やっぱ、あんまりメジャーじゃなさそうだから?」
と言われるも、彼女に悪気はない、恐らく。
時刻表をなぞり、ここで小1時間も暇を潰せないので歩き始めた。
「ナカノメさんがおすすめしてくれたアーティストいいね!」
そう。あの人ときたら早速、粗方プロモーション・ビデオを視聴し、ただの世間話をカラフルなレジャーシートのように広げる。
これだから、嫌いにはなれない。
休憩中にひとりで弁当を食べていた私に、周りの目を気にせず明るく話し掛けるくらいなので、彼女はいつでも人に囲まれており、自分とは違うオーラを感じた。
しかし、少なくともサブスクリプションサービスを利用して音楽を聴く程なら、どこかしら通じる部分が見つかる(と、信じたい)。
僅かな勇気によって取り巻く世界は変わる、月曜日が待ち遠しい。
バス停を5つ超えると、坂道に差し掛かった。カーディガンを羽織ってきたが、息が上がり、額にじゅわっと汗をかく。
この先が近年、再開発されたエリアで真新しいマンションや学校がわいわいと私を迎える。
ようやく目的地〈medley綾錦店〉の看板も確認できた。駐車場にかけて渋滞が起こっている。緑、群青、茶、柿色などを追い越す(もう少し。私、頑張れ。後でカフェに寄ろう)。
おっと、前方の脇道から小学生と思しき軍団が現れた。
少年たちは何故だか全員、背中に手を回し、
「スワのお父さんはできなかったって。みんな組めるよなあ」
などと大騒ぎしつつ元気よく走り抜ける。
……
…………試しにやってみて、仲良く左と右がくっつかないのみか、あらぬ方向に捻ってしまい、肩を痛めた。スワのお父さんに全力で共感する。
3、4歩ふらつき、行列を作る車内では「後ろのお姉ちゃんが真似してるよ」、笑われたに違いない。
いやはや。CDを巡る冒険の如く、今日は散々だけれども、ライブDVDと活動を追ったドキュメンタリーの2枚組と特典のステッカーが付く初回限定盤を店頭、新譜のコーナーで目にした瞬間、見事なまでに疲れが吹っ飛んだ。
流れる映像、ポスターにもメッセージとサインが入っており、夢中で写真を撮る。
それにしても、失われしブーツが通常盤の値段と大差なく、思わずニヤニヤしてしまった。