見出し画像

ごんぎつねはどうすれば銃殺を免れたか

おはようございます。

今日もお仕事、並びにnoteの執筆
お疲れ様です。

音楽の先生と教頭の詳しいプロフィールと活動内容は
こちらの記事へ。


今回の記事は、少しばかり感情的な部分が
目立つやもしれません。
メインテーマが喜怒哀楽の怒の部分だからです。

なるべく冷静に書けるよう、気をつけて参りたいと思います。
が、
溢れ出てしまった場合は、御免なさい。





私は動物が好きであります。

たっぷりと眠り、
ごはんをもしゃりと食べ後は
さぁさぁ
いたずらに大夢中。
そして、また眠りこける。

眺めているだけで幸せな気分になります。



小学生の頃、
国語の授業でごんぎつねというお話を勉強しました。

衝撃的でした。
とても悲しい気持ちになった事を覚えています。
その気持ちは尾を引き、何度も反芻したり
じっと考え込んだりしていました。

そしてそれが、段々と怒りに変化していったのです。

とどのつまり私は、小学生の頃から今の今まで
ずっと怒っている状態なのです。


ごんぎつねを知らない方もいらっしゃると思うので、
以下、簡単にあらすじを書かせて頂きます。
※原作を読んでみたい方はネタバレになってしまうので
お気をつけ下さい。

新美南吉 原作

山中にごんぎつねという狐がいた。
ごんは一人ぼっちで、大層いたずら好きな狐だった。

ある日、
ごんは川で網をはって魚を獲っている兵十を見かけ、
こっそり魚籠に入れてある魚を逃がし始める。
最後にうなぎを逃がそうとした所で兵十に見つかり
ごんは逃げ出した。

十日ほど経って、
兵十の母親が死んだ事を知ったごんは、
一人ぼっちになってしまった兵十に自分と同じ憐れみを持つと同時に、
兵十の母親はきっと最後にうなぎを食べたかったに違いないと思い、自分のしたいたずらを後悔する。
その後ごんは山の中でとれた栗やキノコをこっそり兵十の家に届け始めた。
兵十は誰がくれたか見当がつかない。
いつも届けられる栗やキノコは神様がくれたと思いはじめた兵十にごんは少し不満を感じたりもしたが、仕方がないと思うようにして、
ごんはいつものように栗を届けに行った。

しかし、ごんが家にこっそり近づいてきた事に気付いた兵十は、
またいたずらをされると思ってとても警戒した。
そして、玄関に入って来た瞬間
ごんは火縄銃で撃たれてしまいました。
ごんを撃って近づいた兵十は地面に散らばった栗に気付いてびっくりします。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずいた。
兵十は火縄銃をばたりと取り落とした。
青い煙が、まだ筒口から細く出ていた。




何故そうなってしまったのです。
どうにかならなかったのでしょうか。
誰かの為に生きるということを学び始めたその矢先、
殺されるだなんて。
理不尽すぎます。
小学生の頃の私は、こんな気持ちでいっぱいで
胸が張り裂けそうでした。


最初は兵十に怒りを覚えましたが、
その対象が今ではもっと根っこの方へ向かいました。

根っこの方とは何か。



銃そのものの是非です。

現代、世界では銃関連のニュースが
度々取り上げられていますね。
例えば、警官の誤射。
大概が確認不足を責められ、辞職を促されます。

違います。
問題はもっともっと前の段階にあるんです。


使えば秒で命を奪える道具なんて
この世に存在してはいけないんです。

この考え方の共有は出来ないものなんでしょうか。
誰かが持つから防衛の為に保持する者が現れてしまうんです。
私は一体何回ごんぎつねを強制視聴させられるんですか。
一体何回こども達にショックを与えるつもりなんですか。

武器の携帯は負の連鎖への始まりです。
元から断たねば。

私は全員が持っていない状態が最良だと思っています。
そして、早い段階でその状態を作れてさえいれば
ごんぎつねは死なずに済んだのです。

私はそう確信しております。

皆様はどうお考えでしょうか。





私はごんぎつねのテーマで楽しいという感情になる事はあり得ません。
気持ちが楽(らく)になるという意味ならば、
1つだけ活路がございます。

なるべく早く、この世から武器が消える事。
それが叶うのならば、
少しは気持ちが楽になるのでしょう。

しかし、それまでは喜怒哀 で止まったままです。
もう随分とが迷子になったまま帰って来ておりません。




そんな訳で、
今日はこの辺にしておくと致しましょう。


最後までお付き合い頂き、
どうもありがとうございました。


  



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集