ごんぎつねはどうすれば銃殺を免れたか
おはようございます。
今日もお仕事、並びにnoteの執筆
お疲れ様です。
今回の記事は、少しばかり感情的な部分が
目立つやもしれません。
メインテーマが喜怒哀楽の怒の部分だからです。
なるべく冷静に書けるよう、気をつけて参りたいと思います。
が、
溢れ出てしまった場合は、御免なさい。
喜
私は動物が好きであります。
たっぷりと眠り、
ごはんをもしゃりと食べ後は
さぁさぁ
いたずらに大夢中。
そして、また眠りこける。
眺めているだけで幸せな気分になります。
怒
小学生の頃、
国語の授業でごんぎつねというお話を勉強しました。
衝撃的でした。
とても悲しい気持ちになった事を覚えています。
その気持ちは尾を引き、何度も反芻したり
じっと考え込んだりしていました。
そしてそれが、段々と怒りに変化していったのです。
とどのつまり私は、小学生の頃から今の今まで
ずっと怒っている状態なのです。
ごんぎつねを知らない方もいらっしゃると思うので、
以下、簡単にあらすじを書かせて頂きます。
※原作を読んでみたい方はネタバレになってしまうので
お気をつけ下さい。
新美南吉 原作
何故そうなってしまったのです。
どうにかならなかったのでしょうか。
誰かの為に生きるということを学び始めたその矢先、
殺されるだなんて。
理不尽すぎます。
小学生の頃の私は、こんな気持ちでいっぱいで
胸が張り裂けそうでした。
最初は兵十に怒りを覚えましたが、
その対象が今ではもっと根っこの方へ向かいました。
根っこの方とは何か。
哀
銃そのものの是非です。
現代、世界では銃関連のニュースが
度々取り上げられていますね。
例えば、警官の誤射。
大概が確認不足を責められ、辞職を促されます。
違います。
問題はもっともっと前の段階にあるんです。
使えば秒で命を奪える道具なんて
この世に存在してはいけないんです。
この考え方の共有は出来ないものなんでしょうか。
誰かが持つから防衛の為に保持する者が現れてしまうんです。
私は一体何回ごんぎつねを強制視聴させられるんですか。
一体何回こども達にショックを与えるつもりなんですか。
武器の携帯は負の連鎖への始まりです。
元から断たねば。
私は全員が持っていない状態が最良だと思っています。
そして、早い段階でその状態を作れてさえいれば
ごんぎつねは死なずに済んだのです。
私はそう確信しております。
皆様はどうお考えでしょうか。
楽
私はごんぎつねのテーマで楽しいという感情になる事はあり得ません。
気持ちが楽(らく)になるという意味ならば、
1つだけ活路がございます。
なるべく早く、この世から武器が消える事。
それが叶うのならば、
少しは気持ちが楽になるのでしょう。
しかし、それまでは喜怒哀 で止まったままです。
もう随分と楽が迷子になったまま帰って来ておりません。
そんな訳で、
今日はこの辺にしておくと致しましょう。
最後までお付き合い頂き、
どうもありがとうございました。