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それでも人の輪の中で(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その35)

娘とディズニー映画「ウィッシュ」を観に行った。これから観に行く予定の方のためにも、ネタバレになるようなことは割愛させてもらうが、今一度、自分自身の「ウィッシュ」、つまり「願い」について、考えさせられる機会となった。

何の予習もなしに観たら
マグニフィコ王の声が福山だということに
驚き‼️歌声で即わかった


私はここ数年で、自分自身の二つの願いが、蘇る瞬間があった。その二つの願いとは「執筆活動がしたい、文章や言葉に関する活動で活躍したい、自分の文章や言葉を、必要とする人に確実に届けられるよう、明るみに活動していきたい」という願いと、「けして器用にできるわけではないけれど、それでも人の輪の中で生きたい、社会のコミュニティの中で生きたい、仲間や味方や友だちがたくさんいて欲しい、その人たちとのやり取り、コミュニケーションを楽しみたい」という願いだ。

今回はその二つ目の願い、人の輪の中で生きたい、たくさんの仲間との関わりを楽しみたい、という私の願いについて、書いていきたい。

統合失調症を患った直後の20代前半は、精神疾患の自分にさらに自信をなくし、身体の動きも、頭のはたらきも鈍くなり、人との関わりなんて、ますます不器用にしかできなかった。特に私は、昔からどうしても上手くコミュニケーションできない、苦手な女性のタイプがある。きびきびし過ぎてる人や気が強い、当たりの強いタイプがどうしても苦手なのだ。心優しい、当たりのソフトなタイプの人の方が接しやすい。しかし、現実は自分の思い通りにはいかず、様々なタイプがやってくる。精神科のデイケアのように、仲介に入ってくれるスタッフがいるわけでもなし、社会での現場は、やりにくい人たちに取り囲まれながら、あがきながら過ごすものだった。長年働き、経験を積み、だんだんと身体や頭の感覚を取り戻し、鈍臭さが軽減したアラフォーの現在であっても、やりづれぇ人々に囲まれて、しどろもどろしながら、何とかやっている日々なのである。

娘の入学and七五三記念写真


私が仕事で何とかやれている理由。私が仕事を続けてこれている理由。それは鈍臭さが軽減したことでも、経験を積んだことでも、究極的には、それではない。その理由は、究極的にはただ一つしかない、と気がついたのは、ここ最近だ。仕事を続けていくにあたり、私の最も励みになり、力になっているもの。それはもちろん娘の存在もあるのだが、そういう家族愛は除いて、私が仕事において最もパワーと癒しをいただいているもの。それは、ほんと単純なのだが、「仲間や味方になってくれている人がいること」だ。私の職場においてのそんな存在のひとり。「まろさん」のことを紹介したい。

まろさんに写真使っていいか聞いたら
スタンプやってと言われた


まろさんとの出会い。それは、私が当たりの強い苦手なタイプに翻弄され、ズタボロになっていた二年目の春であった。まろさんが我が課に配属されたのだ。第一印象から、見るからに、優しく、ソフトなニュアンス漂うまろさんに、私はこの人となら上手くやっていけそうだ、とほっと胸を撫で下ろしたことを記憶している。案の定、まろさんは目上の人に対しても、私を含む部下に対しても、姿勢を変えることなく、ソフトな柔らかな物腰で対応する、シゴデキ女性であった。私はそんなまろさんが素敵💓だと思った。そんな風に自分もいられたら…どんなにいいだろう…私はまろさんの素敵なところを、盗ませていただきたいと、仕事の合間に、まろさんの様子も観察するようにした。

しかし、そんなまろさんにもウィークポイントはある。優しすぎるが故に、嫌な人がいても、塩対応できないのである。当時、まろさんが優しく対応してくれるのをいいことに、調子に乗って、まろさんの仕事を邪魔しまくるクソジジィがいた。まろさんが仕事を片付けたいのに、のべつまくなし話しかけてくる、大変ウザいヤツだ。まろさんはそいつにも丁重に、他の人と変わらず接していた。やんわり迷惑であることを漂わせてはいるものの、そういうヤツに限ってそんなニュアンスは一向に伝わらない。私は、そんなヤツにも、他の人と変わらない態度で接するまろさんを、真底尊敬した。と同時に、もどかしくも感じた。こんなクソジジィにおべっかを使うことはないのだ。まだ二年目の私であったが、私はそのジジィに嫌われていた。私はそいつの機嫌を取ったり、良く思われたいからと体裁を整えることをしなかったからである。今でも自分の中で「なし」な人に対してそうである私は、組織の中で生きるには大変苦労する人間だが、優しくしなくていい人、きっぱり嫌だと断るべき人は、確実にいるのも事実だ。

私はそんな優しすぎるまろさんを、それを含めて好きになった。シゴデキ女性にも、ちょっとした弱点はある。だけどその弱点は、美点とも言える、人としての優しさだ。しかし、まろさんは、とうとう当の本人には迷惑だとはっきり言えず、課長との面談の時に、異動したいと話し、次の年度には異動してしまったのである。だから私はまろさんと一年しかご一緒していない。

まろさんが異動する時、LINEを交換し、それを機にまろさんとの親交が深まることとなった。所属部署が変わっても、私たちは一緒にランチしたり、飲みに出かけた。職場では話せない話題もたくさん話し、酒の場では赤裸々なこともたくさん話した。まろさんにも私にも、まだまだ開かれてない扉がたくさんある。まろさんのことも知っていきたいが、何より私は、まろさんと話していると、開かれようとしている扉の向こう側の自分自身を思い出すのである。自分自身を再発見し、驚いたり、感動を覚えるのだ。

まろさんと同じ職員研修を受ける機会があった。キャリアアップの研修だったのだが、モチベーションが上がる時と下がる時を発表する場で、まろさんは「モチベーションが下がることはない。不安定になることがないように自身をコントロールできている。」と発表して、講師の度肝を抜かしていた。そんなことを言われたら、講師はもう不要となり、研修を受ける必要性はなくなる。私はそんな度肝を抜かせるまろさんを見て、納得した。ああ、私は、安定している人、安心を覚える人と仲良くなりたいのだ。そんな人を信頼しているのだ。精神疾患持ちの不安定極まりない私は、自分にはない安定感を持つ人に心底惹かれるのだ。旦那も安定感抜群の牡牛座だから結婚したようなものだ。仲良くしたい人、仲良くできる人に共通するのは、安定感、安心感、信頼感である。良い刺激は受けたいが、それは相手の不安定さに振り回されることからくる刺激ではけしてない。相手と接することに安定、安心がベースにあって、はじめて私は人と関係を形成できるのだ。

そう考えると、まろさんの優しすぎる態度、嫌なヤツにもフラットに接することのできる姿勢は、まろさんの安定感からくるものなのかもしれない。嫌だと思っても、すぐまたフラットになることができるから、私みたいにあからさまに嫌だという態度をする必要がないのかもしれない。しかし、まろさんも溜まりに溜まると、上司に相談するという形で、解消をしようとしている。

まろさんと私は労働組合に入っていて、組合が主催するイベントにもよく一緒に行っている。最近は、年明けに旗開きの飲み会に参加した。日本酒で「クラクラするー」と叫ぶ私を見て、まろさんは温かく、優しく、包み込むように笑っていた。旗開きが終わった後、二人でバーで飲んだ。なぜ役職がうんと上のまろさんが、一年しか一緒に働いてないまろさんが、私と仲良くしてくれているのかはわからない。だけど、クソジジィの時みたいに、ほんとは迷惑なのに、塩対応できず仕方なく接してくれているのとは違うことだけはわかる。まろさんは私にとって、敬愛する先輩であると同時に、友だちと是非呼ばせていただきたい、大切な存在である。

職場には苦手なタイプもたくさんいて、器用に立ち回れるほど、私はコミュニケーションに長けてはいない。けれど、ほんの少数であっても、まろさんのような存在がいることが、私の強み、モチベーション、精神安定剤になっている。だからこそ、私は仕事を続けてこれている。そしてこれからも、しばらくは公務員としてやっていくのだろう。ずっと仲間が、友だちが必要だったのだ。仲間や友だちさえいれば、私は大抵のことができるのかもしれない。だからと言って、私は孤高を愛していないわけではない。一人で黙々と降りてきた言葉を書いたり、考えに耽る時間、ぼんやりする時間も愛する人間だ。しかし、外の世界でする仕事、組織に入っての仕事では、数多くなくとも、本当に仲間、味方、友だちとしていてくれる存在が、私には必要であり、私の大切な活力になっている。

まろさんと受けた、女性限定のキャリアアップの研修は、本当に楽しく、同じ班の女性たちとも、これから縁が繋がっていきそうだった。仲間の輪が広がっていく希望を感じた。仲間がいてくれれば、私は強くなれる。どんなに打ちひしがれることがあっても、器用にできなくても、それでも人の輪の中で生きていきたい。人のコミュニティの中で、私は生きたい。私のウィッシュよ、希望の星まで、どうか届き、これからもその願いを叶えていけますように🌟



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