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錆染めの布
錆染めとは簡単に言えば、錆びた鉄を濡れた布に付着させ、滲み出た錆を固着させる染め方である。
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錆染めを始めたのは、柿渋染めを始めた頃と同時期だった。
布に鉄錆をつけるだけだと布の質感が損なわれるけれど、柿渋と併用すると、柿渋の膜の作用で錆が繊維にしっかりと付くので、触っても手に錆が付かず、ゴワゴワしないというのが発見だった。
骨董やお茶が好きな友人達が面白がってくれて、様々展開しながら、今ではすっかり自分の制作における大事な引き出しのひとつとなっている。
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一見古びていて、朽ち果てそうな錆染めの布に、魅力を感じるのはどうしてなのだろう?この感覚は、どこからくるものなのだろうか。土地の文化や環境、時代と、どういう関係性があるのだろうか。今は自分の創作について論文を書きながら、そんなことばかり考えている。
古い布の染め直しということも頼まれれば引き受けるのだけど、新しい布に錆を付けるときは、いつも矛盾を感じてしまう。
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鉄錆で酸化させるので、どうしても繊維を弱めることになる。その後、柿渋で膜を張り補強することにはなるのだが、新しい布を古く見える加工をすることについて、もったいないというか、素材に対して、申し訳ないような気持ちを抱く。
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とはいえ、染めとは本来そういうことでもあるとも思う。
極端に言えば、染色という行為は、柿渋のように皮膜を作り繊維を補強する効能がある染料もあるが、そのほかの多くは、染色の過程で布や繊維を痛めてしまうことになる。染色などしない方が、環境に負荷もないし、その方が良いのだと言われれば、何も言い返すことはできないかもしれない。
しかしそれでも、私たちは色彩や装飾などの造形を用いて、日々の暮らしや、人生に潤いを得ようとする。
染色とは、日々の暮らしや自分自身に付加価値を生み出したいという人々の欲求を満たし、文化を生み出すものであると思う。
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この錆染めのシリーズは、今までとは違う層の人達から熱い反応を頂けていることがとても嬉しい。
以前のように綺麗とか可愛いと形容できるものをつくるだけでは、自分の中で、何か埋められないものがある気がしていたからかもしれない。
どちらかだけでなくて、両方あるのが良いな。と感じているこの頃です。