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私流、口コミの読み方
レストランや泊まるホテルなんかを選ぶとき。
買い物をするとき。
いくつかの候補があるときに、どんな選び方をしていますか?
立地や内装、メニューや温泉の有無など。
知り合いからのオススメ、雑誌やSNSの特集で見た、などもあるかもしれません。
でも、もしも複数の候補で迷ったとき、決め手を求めて口コミを見る、という方は多いのではないだろうか。
かくいう私は、口コミをかなり読む。
しかも、辛口評価の口コミを率先して読む。
そこで、口コミには2種類あるのだということが分かってきた。
ひとつは、事実が客観的に書かれているもの。
口コミなんて、あくまで主観にすぎないのだけれど、だからこそ
「単なる私の主観ですが」
を自覚した形で書かれている。
その場合は、残念だと感じたことと、良かったと感じたことの両面が書かれていることも多い。
そういう口コミを読んでいると、どんな傾向があるところなのかが、そんな口コミから浮かび上がってくる。
例えば、温泉旅館であれば、
○従業員のみなさんの接客がとても親切
○設備は老朽化している
○食事が美味しい
という口コミが多ければ、食事や応対を重視している人なら安心して予約できるけれど、設備の快適さを重視している人なら他の旅館を選ぶ、という判断材料になる。
そこに書かれているのは、夫々の個性にすぎないので、自分の好みに合う個性のところに行けばいいのだな、とわかる。
もうひとつは、口コミを書いている人が脊髄反射で書いているもの。
ボロクソに書いてある口コミの中には、そういうものもそこそこ紛れ込んでいるように思う。
先日、予約をして訪れた喫茶店に到着したが、入り口でなかなか存在に気付いてもらえず、私も特にアピールをせずに少し待っていたことがあった。
取り込んでいるのかなと思ったし、急いでいるわけでもなかったので特になんとも思わなかったけれど、こういう場合に普段から被害者意識の強い人なら、客を待たせてなんだと思ってるのか! 的に怒ることもあるんだろうなぁ。なんて思った。
そして私は、特にそういうネガティブ反射的に書かれた口コミは参考にしなくてもいいのだな、と気がついた。
反応の種は、本当に人それぞれ。
感情が動くときには必ず、そこに自分だけが見ている世界が現れる。
口コミというのは、書いたその人の主観のむこうに、その人自身が見ている世界が見え隠れする。
その人の世界の更に向こう側を目を凝らして見たときに、ようやく口コミを書かれたお店なりの実態がうっすらと見えてくるのかなぁ。
なんてことを、感じている。