伝える、伝えないの選択
誰かに対して物申したいと思ったとき。
物申したいと言う表現を取る以上、それはネガティブな内容になる。
それを素直に伝える人と、
拗ねて伝える人と、
伝えない人、がいる。
伝えない、という選択にも
出来れば伝えたいと思うけれど、何らかの心理的理由によりとても伝えることができない
という場合もあれば、
何らかの理由により、伝える必要がないと判断したから伝えない、
という場合もある。
事象や理由としては様々だけれど、
私が個人的に、とてもとてもウンザリする事がある。
人の輪があるところではありがちなのだが、理由の如何に問わず
当事者には伝えないけれど、第三者にはそれを伝える。
という事象が起きることがある。
所謂、
陰口
というやつだ。
話の内容にどんな正当性があるとしても。
本人には伝えないのにも関わらず、関係のない人にわざわざ、その人のネガティブな話を聞かせることを、私は好まない。
もしも被害を被っているのであれば、被っている人が相手に直接伝えれば良いことで、
もしも自分で言えないのであれば、誰かに伝える手伝いを頼んでも良いと思う。
伝えない、を選ぶのであれば、伝えない、に徹して無関係の人たちにわざわざ知らしめる必要はないんじゃないの。
と、私自身は思う。
子どもの頃から、私とは関係のない陰口を聞かされることに、腹を立ててきた。
そんな話は聞いてて楽しくもないし、私に言うことで捌け口にされている気分にしかならない。
身内でも学校でも職場でも、相手にはとてもいい顔をしているのに、その人が居なくなった瞬間にその人を批判しだす人を何人も見てきた。
そして、そういう人にそんな話を聞かされるたびに、
しらんわ!
本人に言ってくれよ!
と私はいつも怒っていた。
だから私には、
出来うるなら相手に直接伝えたい。
という気持ちが強くあるし、実際にまずは本人に直接言うことが多い。
ただ、私にも
でも様々な要因により、直接伝えられない
と思うことがある。
そんなときは、具体的に誰かをあげつらうような陰口の形は極力取らずに。
穴をたくさん掘ってから、
作品という体で、曖昧にその事象をつぶやく事になったりする。
それがもしも、
似た思いを持つ誰か他の人の心に響くものになるのなら。
もやもやした思いも、悲しかった体験や、つらかった体験ですら、豊かな循環の中にあるような気持ちになってくる。
具体的な誰かをあげつらわずに、それができるならその方が私は好みだ。
伝える、伝えない
の選択の裏には、
どの対象に伝えるのか
という選択も絡んでくる。
本人に伝える、伝えない、という世界の登場人物は、自分と相手のふたつであるが、
本人以外の相手に伝える、伝えないという世界には、無数の登場人物が現れてくる。
そこにどんな化学反応が生まれてくるのか。
それはもう、趣味嗜好の世界なのだと思うから。
陰で言うことを、否定する訳ではないけれど、
私はそれは好きではないな。
という、そんな自分の思いが、改めてハッキリした気がする。