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ただなんとなく生きていた時間を取り戻したいアラフォーです

私は年齢を重ねることを舐めてきた。
たぶん。てか、絶対そう。

何もやりたいことがなかった学生時代

自分の過去を全否定するわけではないけど、子供のころから特に熱中することもなく、「友達が入るから」という理由で興味のない部活に入り、途中で辞めたり。親もバリバリ人生を謳歌していた人ではないので、何か熱中しなさい!みたいなこともなく、のらりくらり生きてきた。
高校に入っても、ただなんとなく流行りに乗っかり、部活もしない。お小遣い稼ぎでアルバイトはしたけど、やりたいことというより高校生でも雇ってもらえる近い場所を選んで働いた。
進路なんてどうでもよかった。どうせほどほどに働いて結婚して辞めることになるだろうし。女なんてそんなもんだろう。当時は今より女性がバリバリ働いている世の中ではなかった、なんてそんなせいにするけど、私はそう思っていた。

高校が楽しくなかったので大学なんて高校より長く行かないといけないし、なんにせよまた勉強をしないといけないなんて絶対嫌だった。変なところ真面目なので、大学に進学するということはちゃんと勉強しないといけないと思っていた。もう働いて自由になりたかった。当時私は働くことが自由になることだと思っていた。私にとっての自由は親の干渉から逃げること。自分の買いたいものを自分のお金で買うこと。進路に迷っていたところで専門学校のチラシが入っていた。
1年しっかり勉強するだけで就職率100%!!
これしかないと思って飛びついた入った専門学校。


何も考えてこなかった学生時代のツケが回ってきた社会人

楽そうな職種だと思って入った専門学校。1年で働けたら万々歳!!!その結果を待ち受けていたのは地獄。


歯医者の仕事なんて受付に座って患者さんが来た時だけ応対すればよい。診療補助だってゆったりやれると思っていた。上の記事以外の歯科医院でも勤めたことはあるが、ゆったりした雰囲気のところもあったけど、自営業のようなもので歯科医師は意外とケチ、お金にシビア。給料も安いし人員もカツカツ。有休なんてあってないようなもので、病欠でのみ有休適用されるのが現実。毎日家から家に行っているようなもので、男性は医師のみ。たまにくる営業や技工士は男性だが、全く出会いなんてなかった。


やりたいことが見つかった30代

歯科助手の仕事から離れたかった私。でも明確に何をやりたいとかそういったことはなく、会社に勤めたかった。
歯科医院勤務時代は終わりの時間も決まっていて決まっていないようなもの。仕事終わりに合コンに行く?アフター5?華金?は?みたいな感じだった。こんなんじゃ彼氏も一生できない!と思ったのがもう結婚適齢期。

2つ目の歯科医院を退職後パソコンスクールに通った。ブラインドタッチはおろか、エクセルやワードも知らない。基礎を勉強して派遣で事務職を2年経験。そこからまた悪魔のささやきで歯科医院勤務に戻る。知り合いの歯科医師が新規開院するとのことで、最後の希望を持って歯科の仕事に戻ったがやはり合わなかった。この後に開発補助という職種と出会う。

そういった職種があるのも知らなかったし、未経験でもやれるとも思っていなかった。漠然と事務職を探していたけど、やってみよう!と快諾。いわゆるモノづくりの開発者のお手伝いをするようなもので、言われたように試験をしたり、加工したり。職場環境もよく、この職場で働いたことで私の人生は変わったかもしれない。

友達には、楽しそう、変わった、生き生きしている、と言われたこともあった。当時付き合っていた彼は、私の変化に少し置いてけぼりを食らっているような感じで少し面白くなさそうだったし、浮気の心配をされたこともあった。最後に勤めていた歯科医院では5人ほどの従業員。世間の流れがどうであれ、何も日常が変わることがなかった。新たな職場に巡り合って、毎日関わる人の多さだったり機械だったり、世間のニュースが職場に反映されるようなこともあって毎日が新鮮だった。


自分にこの仕事が合っていると思った理由

人見知りだが人付き合いは割と得意。
歯科医院時代は患者さんの顔や名前を覚えるのは割と得意だったと思う。得意だけど、この患者さん毎回遅れてくる、子供がこんなに暴れているのに何で注意しないんだろう?とか、なんでこんな偉そうなんだ?とか、ほんといろんな人がいて、いちいち心をざわつかせていた。遅れてきた人をすぐ診療室に入れて、そのせいで時間通りに来た人を待たせてしまうとか、ほんとにストレスだった。

派遣として大手企業に派遣され開発補助として働き始めて、ものすごくたくさん人がいるが、自分に関わる人は一握り。嫌だなと思う人はいても、その人と関わらなくて済んだり、関わる必要があっても他にもたくさんの人がいて、嫌な人だけに向き合う必要がないところが私にはすごく合っていた。

仕事内容も繊細気質な私にぴったりだったと思う。
正確にデータをとること、正確に加工すること、試験内容に違和感を感じ不良だと気付けること。もちろん最初は難しいし思うようにできないストレスもあるが、真面目に向き合って要領さえ掴めれば、こんなに性格にマッチしている職種はないと思う。

そのときの上司が、「どれだけ知識があってもそれを活かすことができない人がいる。正確に仕事はできても、性格的におかしなデータに気づけない、目をつぶる人はいる。さかささんは知識はないかもしれないけど、それをカバーできるものをたくさん持っているから信頼して仕事を頼める。」と言っていただけたことがある。
歯科助手の仕事をしていて褒められることなんてなかったし、親にも褒められることがなかった私はめちゃくちゃ嬉しかったし泣きそうだった。

その職場は派遣法のせいで長く勤めることができなかったが、それでも6年在籍した。そこから派遣法のせいで仕事を変わらなくてもいい特殊派遣という働き方を知って、今は別の派遣元の正社員として在籍して配属された会社で開発のお手伝いのような仕事をしている。


自分がやりたい職種と出会って考えること

最初に開発補助として6年勤めた会社がただ恵まれていたのかもしれない。そうとも思ったが、それから2つの職場で類似の仕事をしていて、確実に自分に合っていると思えた。この職種でもっとスキルアップするために、あれこれ勉強しようと考えたこともあった。今現在も勉強していることはあるけど、それは仕事に直接関係のあることではない。若かったら大学に行きたいと思えるぐらい今の職種を突き詰めたい。あんなに勉強することが嫌いだったのに。

年齢のせいにするのは違う、という方もおられるかもしれない。でも私は年齢で諦めないといけないことは多々あると思っている
今の仕事でスキルアップするために資格を取ったとしても、40歳を過ぎた女性が資格を持っている、それだけでは面接で何も響かない。経験がないから。資格を活かしてこういうことができます、ならいい。年齢の壁は相当高い位置にある。30歳でもそれは感じたけど、40代は一気にまたハードルが上がると実感している。やる気だけで押し通せるのは、若さという将来性の期待値が高いから。それでも昔よりは働きやすくなったとは思う。年齢を突き付けて断りづらい世の中になっているから。

年齢を跳ねのける成功者は世の中にたくさんおられる。
そういった方はある程度の人望、余裕のある環境、元の性格もあると思う。
だからといって私が頑張らない言い訳をしたいのではない。私は頑張りたい。今もできる範囲では頑張ってる。でもこれ以上は経済的にも勉強に専念できる状態ではないし、メンタルも維持できるかも不安。元気な人にメンタルなんて甘えだ!やろうと思う気持ちが足りてない!なんて言われたりするが心外。


面接してもらった会社から不採用

この間、職場見学にいった。結果は不採用だった。

もともと私の経歴はお伝えしていて、新たに覚えることはたくさんありそうだった。それでも、と面接をしていただいただけありがたかった。面接は割と終始和やかで、実際働く場を想定したような質問もしてくださったし、私が知識の面でこれから何を勉強したほうがいいか質問をしたりした。
不採用の理由は、電気知識の面とのこと。
それは面接の前に知ってたやーん、とは心の中で突っ込んだりしたけど。私の年齢を予めお伝えしていたのかは知らないが、評価経験は豊富でもこれから未経験の分野でバリバリやってもらうには、やはり厳しいと思われたのだろう。
コミュニケーションを大事にされている、とおっしゃっていたので、その辺の話は好感を持っていただいてたと営業に聞いた。それでも落ちてしまったのは、やはり年齢は否めないのかなと思ってしまった。

どうしてもその会社に行きたかったわけではない。けど、やはり不採用という現実はすこし落ち込んだ。そんなこんなで昨日はオツカレ生してました。

また違う会社を紹介してもらえたので、今回の面接は練習させてもらったと思って次に備えよう。



気持ちは変わる

学生時代ののらりくらりから現在、かなり仕事に対する気持ちは変わった。将来なんてどうでもいい、適当に働けたらそれでいいと思っていた私がスキルアップのために勉強したいと思うなんて…!昔は結婚して専業主婦なんて最高ー!とか思ってたけど、今はもし仮に誰かと結婚したとしても何かしら働きたいと思う。3年後の自分はなんて言ってるかは分からないけどね。


読んでいただいてありがとうございました!

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