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本願寺からの景色
本願寺は今日もたくさんの人で賑わっている。
若い美女から昔は美女だったでしょうねと思うおばあさんまで、
たくさんの人がお参りにきている。
本願寺への参拝者は、必ず次のことを問われる。
人生最大の決断が悪い結果に終わったとする。
そのときあなたはどちらの選択をしたか。
①自分の気持ちに従わなかったことを後悔する
②他人の意見を聞かなかったことを後悔する
実は本願寺には2つの社がある。
この問いの答えにより、開かれる社の道は変化する。
①を選んだ方は自力本願寺へとうぞ
②を選んだ方は他力本願寺へどうぞ
自力本願寺は自責本願寺であり
他力本願寺は他責本願寺である
決断と責任はハンバーガーとポテトのセットくらい密接な関係にある。
どちらかが正解で、どちらかが不正解ということはない
どちらが善で、どちらが悪ということもない
自分を責めて人生に生かす人もいれば
他人を責めて安心感を得る人もいる
厳密に言えば、人の決断はこんなにキッパリ二分されることはない。
「あいつは人の言うことを聞かない」
ミスターセンクスがよく言われる言葉であるが、
相対的に見れば人の言うことを聞かないだけであり、
決断をする材料の中の「人の意見」項目が他人より少ないというだけである。
なぜ言うことを聞かないかと言えば、
のぞみ通りに行かなかった時に他責したくないからだ。
あくまで事態が悪転したときの話だ。
好転した時は「おかげさま」の世界である。
さぁ、どんなバランスで生きていこうか。
決断Aは自力本願寺が80%で他力本願寺が20%
決断Bは自力本願寺が20%で他力本願寺が80%
人生を左右する決断は自分で決めるべきだ
他人の人生を生きるな、自分の人生を生きろ。
そんなことを言っていた偉い人がいたが、
要は自分にとってその決断がどれほど重要かによって、
自力本願寺と他力本願寺のバランスを変えていいと言う話だろう。
それでは自分にとっての重要性を決断する時は?
自力本願寺と他力本願寺は今日も大忙しだ。
ミスターセンクスとしては迷わず本能寺に出向き、
本能のまま美女を追いかけることを選択する。
さぁ、あなたならどうする?