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『巨人の星(10)』を読んで、西山朋佳女流三冠の棋士編入試験のことを思い浮かべた読書感想文

本書と棋士編入試験は、情け容赦のない「勝負」の一字が共通します。相手にかかっているものが大きければ、その分だけ全力を尽くすのが将棋界の流儀であり、美風だと言われています。

本書には、主人公の星飛雄馬投手の大リーグボール2号(消える魔球)を花形満、左門豊作、伴宙太、そして父親の星一徹が打ち砕かんと襲いかかる話が描かれています。

棋士編入試験においては試験官の先生を主役とするより、受験者の西山女流を主役とするほうが自然でしょう。星飛雄馬投手にライバルたちが群れをなして魔球打倒に襲いかかるように、五人の試験官が西山女流の四段編入を阻みます。

本書と棋士編入試験とで違いがあるのは、たたかいの場がグラウンドの上か盤の上かという違いと主人公のメンタルです。西山女流がSNSに発信されている内容だけで落ち込んでいないと断定はできませんが、ご本人が「某氏に急遽開いてもらった残念会で、西山さん凹んでるようなパフォーマンスしてるだけで全然悲壮感がない、心配して損したと言われました」とおっしゃっているのならその言葉の通りに受け取ることにします。この発言を前提にすると、星飛雄馬投手が、大リーグボール2号(消える魔球)を打たれると、監督の指示もあおがず勝手にベンチに下がり、夜の街へと消えていく姿とは対象的です。しかし、共通していることもあります。それは、どちらの姿も美しいです。それくらい打ち込める何ものかを持っていることが美しいのです。

自分にとっては消化試合だが相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす

米長邦雄 永世棋聖



『巨人の星(10)』を読んで、西山朋佳女流三冠の棋士編入試験のことを思い浮かべました。

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