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『マンガ鎮国寺ものがたり』を読んだ読書感想文
福岡県宗像市(「むなかた」と読む)に宗像大社という神社がある。その近くに鎮國寺(「ちんこくじ」と読む)というお寺がある。弘法大師(お大師様)が唐から帰ったあとに日本で最初に開いたお寺で、お大師様が御製されたと伝えられる像がある。秘仏「身代わり不動明王立像」は4月28日のみ公開されており、大日如来座像、薬師如来座像、釈迦如来座像の三体はいつも拝むことができる。
本堂から山道を10分くらい登ると、「奥の院」と呼ばれるところがあり、鎮國寺発祥の地である。現在はパワースポットとして知られ、九州八十八ヶ所百八霊場108番結願札所となっている。何度か訪れたことがある。厳かであり、なにか空気が違うものを感じる。背筋が伸びる。読む人にうまく伝えられない私の語彙力の無さにもどかしさを感じる。
宗像大社には幼いころから何度も訪れたことがある。このへんの人は、新車を買うとお祓いをしてもらうのは宗像大社と決まっており、多くの車に宗像大社でお祓いをしてもらったステッカーが貼ってある。しかし宗像大社からそれほど離れていない鎮國寺にはじめて訪れたのはたかだか1年くらい前のことで、こんなに立派なお寺があることすら知らなかった。
そう立派なのである。はじめて訪れたときに「こんな山奥に、(実家から)こんな近くに、こんなに立派なお寺があったのだ!」と驚いた。お大師様が創建したからという縁起だけで、すばらしい境内が保たれているわけではない。
鎮國寺も明治の廃仏毀釈、戦争などの影響で荒廃していた。昭和23年に立部瑞祐氏が来て、立派に再建されたのである。語るも涙、聞くも涙の懸命に、がんばるものがたりは本書もしくは原作の『心の旅路』にゆずるとする。掛け値なしに、文字通り「命懸け」のものがたりだ。
話は飛ぶが、広島の厳島神社のある宮島に弥山(みせん)という山がある。ロープウェイで登ると、「Kukai was training」とお大師様が修行されたことを英語でアナウンスされる。弥山の由来は、世界一高いとされる須弥山(しゅみせん)から来ているという。初代内閣総理大臣伊藤博文先生は弥山頂上からの眺めを「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と感嘆したそうだ。伊藤博文先生と言えば、長州の出身で、長州と言えば吉田松陰先生を思い出した。昨日テレビをみていると、彦根城が取り上げられていた。吉田松陰先生の信奉者の方からすると許せない敵かもしれないが、彦根城と言えば、井伊直弼公を輩出した井伊家の居城である。常にどこかで私には見えざるなにかが語りかけていただいているのを感じる。「有り難い」ことだ。
本文の中で心に残った文章を抜書きしておく。
きっと弘法大師が姿を変えて自分を救いにおいで下さったのだ・・・
「この鎮国寺にもお大師さんが何人にも姿を変えてお越しになり自分をお救いくださったのだ」立部瑞祐は心からそう信じた
ご本尊がこの鎮国寺の社長であり主人公である。わたしは番頭であり社員ではないか。(中略)この家の主人公はご本尊なのだから、お詫びを入れお願いをして、後始末もご本尊にしてもらわねば、この金はわたしでは払えないぞーー。
幾万の 信徒のねがいことごとく 実らせたまえ 南無不動尊
心海湛然として波浪無し
お礼とともに、まずは元金を持参した旨、勧進の順調な推移を説明していると、じっと見詰めておられた佐三氏がやおら、「この金、持って帰りなさい」何事かと顔をあげる瑞祐に、「これをあなたに差し上げましょう」最初に徹底的に叱るだけ叱り、その後に貸してくれたお金です。佐三氏は最初から喜捨のつもりだったかもしれませんが、瑞祐が必死になって返済に努力することを期待し、そのことで護摩堂建設を応援してくれたのでしょう。これが事業に命を懸けた超一流の経営者の考えであり、深い真意で救けてくださったことに、瑞祐は大きな感銘を受けたのでした。このことが契機となり、佐三氏は鎮国寺の復興事業に一層親身な力を添えていきました。
最後の引用部分について補足しておく。佐三氏とは宗像出身の出光佐三氏のことである。『海賊とよばれた男(百田尚樹)』のモデルとして描かれた出光興産の創業者である。
きれいに整備された場所を見ると、ついつい表面だけを見てしまうが、その裏には毎日の手入れがある。不断の努力がある。「普段の努力」とあえて漢字を置き換えてみてもよいかもしれない。人物に思いを巡らした場合、立派な人物は日々のつみ重ねが大人物たらしめているのだ。私もいまからでも遅くない。そう信じて歩一歩ずつ歩みを進めて行きいつかは「と金」になりたいと思った。