小1プロブレム に心痛するなら、小4息子の「算数闘争」を聞いてみる?
うちのトンガリ息子、算数が「超ド嫌い」だった。
それはもう、解けない自分に毎度発狂する程。
かなりの憎しみを 算数にぶつけていた。
でも最近、克服しつつある。
以前のような様子、見なくなった。
何がよかったのだろう?って振り返ると…..
ーーえっ? なぜこの話が始まるかって?
それは 最近、野本響子さんの新刊を読んだから.
こちらの本、私のような、
小1プロブレムの言葉に心痛耐えない親の支えになると感じた。
必要な人の手に届いて欲しい。
そう思い、我が家の算数の話をザックリ抽出し記録.
我が家は まだ小学生で、途中経過に過ぎない。
内容の良し悪しは謎であり、既に反省箇所ばかり。
ーーこんなパターンもあるよ〜😂 笑
という感じで、情報 として共有致します😘
_↓introduction________________________
私は30代専業主婦。
小4トンガリ息子と小1ほんわか娘がいます。
---未就学時代:インターナショナルスクール
---小学校:多様性と創造性が理念な私立小学校
---習い事:各方面にかなり多め。
私の労力と家庭の支出の多くが「教育」を占める。
🌳息子は、好奇心が旺盛で イタズラやおふざけが大好き。私と違う価値観を持ち、独創的な論理に基づき 考察・行動 する。一見 頑固だけど、論理に矛盾を察知すると、かなり柔軟に対応。---小2の頃に「生きる意味が分からない」と、一時不登校に。その後2年ほど、カスタマイズする形で通学していた。
🌸娘は、可愛い好きで 甘え上手な甘えん坊。私と似た価値観を持ち、ささやかな事でハッピーなれる。時に、理不尽な怒りや悲しみを振りかざす、けれど 驚くべき切り替えの早さで回復。---小学校や先生が大好きで、誰よりも早く登校し、係的な活動にも情熱を注ぐ。
_______________________introduction↑_
■まずは、算数嫌いは5歳頃から…と懺悔しないと
トンガリ息子は、話すのが早かった。
看板の字を拾い嬉しそうに読んだ。
数を数えるのも、生活の中で習得。
5歳頃、本人が「公文に行きたい」と言い始めた。
その頃、住んでいたのは 教育熱の高い地域。
入園前から幼児教室に通う人も多かった。
公文も近くで、良い選択に思えた。
けれど、彼には 公文が合わなかった。
うっかりな性格で、理解できても完解しない。
だから、同じところを繰り返す。
繰り返すほど、飽きて 集中できない。
完全に悪循環で、どんどん「算数嫌い」になった。
今なら、気づく。
そんなに詰まらないなら 辞めるべき。
算数に触れ合う、にしても色々な方法がある。
そもそも、幼稚園から「勉強の算数」は早い。
でも、当時の私は 引き際が分からなかった。
ーー息子がやりたいと言って始めた
ーー周囲の子たちもやっている
ーー夫は公文を続けて良かった経験を持つ
ーー言語理解が得意で、他科目は得意
結局、公文を辞められたのは、
ーー小学校進学に伴い転居をしたから。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
■不登校を契機に「算数の模索」をする
小学2年の春、トンガリ息子は不登校になった。
算数は、ほぼ学校にお任せしていた。
不登校で、家庭に「算数」が戻ってきてしまった。
小学校入学以降、彼は多くの事象に怒っていた。
比例して、学校から頻繁に連絡が入り 問題は山積。
もはや、私にも 算数の優先度は低くなっていた。
ーー算数は、手放そう、、と思った。
集団で取り組む力が働かない 家庭学習。
---解けない自分に発狂。
---解説を聞くにも自尊心が耐えられない。
---不本意だから 態度が最悪。
学校での算数も辟易している様子だったけど、
それ以上に、家庭で成立させるのは到底不可能。
負の感情を発散する吐口が必要な彼に、算数は手頃な様に見えた。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
もう、スキなことをして過ごしたら良い。
スキの延長線で必要になったら学ぼう、と思った。
並行して、心底 算数はどうでもいい、と感じた。
生きていく上で、絶対に 必要なものではない。
…..…算数は手放そう、と心から思った。
ーー彼には、算数が必要? と思うように、、
手放し過ごすと、すぐに、
彼が算数を学ぶ理由が、浮かぶように表出 した。
トンガリ息子は好奇心旺盛で 質問ばかり。
ニュースを見るのが好き
---天気予報の降水確率に疑問を持つ
自作料理にもハマった
---レシピには分数や知らない単位が羅列
自由研究の延長戦で工作にも励む
---方程式が必要な物理の世界に繋がることも
その都度、説明してみる。
でも、小学1年の算数では 理解が難しい。
理解したとしても、使うに至れない。
知れても、簡単な説明では すぐ忘れて定着しない。
彼も、そのサイクルを感じていたのかも。
理解できない自分に、
何度も質問する自分に、
ーー益々苛立ち、好奇心すら下降傾向….
していくよう見え始めた。
家でも「良くないサイクルが回り始めた」と思った.
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
スキの延長線とは別に、彼には算数の勉強が必要。
試験や将来の為に…なんて理由ではなく、
ーー「合う算数」 を探し、子どもが行動
不登校だから、時間は豊富にあった。
小学生の不登校を受け入れた人には、伝わるかな?
---小学生は学校がないと、社会と遮断 される
---親も息苦しくなってくる
子どもを大切にしたい気持ちと並行し辛さが膨らむ.
そんな追い風もあり、結果的に約2年で合計10種,
近隣の個別指導塾4種、集団指導塾1種、
電車片道30分以上(乗り換えあり)個人指導塾2種
タブレット教材2種、
興味に寄り添うがモットーの家庭教師1種
体験や実際に入会などの形で、合う算数を模索した.
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
ギュッと多様に経験すると….
ーー自分(彼)は、どんな形がスキなのか?
ーー算数嫌い(苦手)って思っていたけど、違うかも
ーー算数以外のせいで、算数嫌いだったのかも
….と「考えたくなる空気感」に変わっていった。
個別 or 集団 か。
二つは、求められる態度が大きく違う。
親の感覚的な予想以上の違いがあるようで、
トンガリ息子は「個別」だと楽しめると分かった。
簡単 or 難しい。
トンガリ息子は 算数が得意とは言い難い。
でも、簡単だけでは 不得意を加速させると分かった.
意外にも、彼のやる気に「難しい」が必要だった。
若手先生 or ベテラン先生。
バイトの大学生から受験特化型個別塾塾長まで。
様々な先生に習ったが、多くに懐いた。
ずっと 息子は気難しい性格だと感じていた。
でも、彼にとって大事なのは、
「算数以外で否定や注意をしない人」のみだった。
人 or タブレット。
タブレット教材とは相性が悪かった。
字が汚いと認知されない。
教材の性質を利用し、逆算して解答したくなる。
もう少し性能が良くなるまで「難しい」と分かった.
書き出すと、当たり前な考察に見える。
でも 私は、完全認識不足だった。
多場面で第3者として比較観察するのは 有益だった.
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小2の彼は「3つ掛け持ちで通いたい!」
と主張する程、模索する中で やる気が育っていた。
そして、彼が選んだのは
ーー電車で片道30分以上かかる個別指導塾 だった
内心、大変なことになってきた….と焦った。
3歳下の娘の生活と両立しうるか、怪しかった。
遠方の2つは、算数専門の個別指導塾だった。
どれ程に違う世界が広がるのか、見物気分の体験だった。
けれど、
苛立ち、落ち込み、不眠がちな息子の「選択」。
ーー何とか出来なくなったら考えよう
ーー幼稚園時代の算数選択、間違えた責任もある…
少々の投げやり感&後ろめたさで、息子の「選択」を尊重した。
■「自分で吟味」して「選択」は 強い
塾の先生は、息子に「楽しい算数」を伝えた。
彼の算数の印象は、変わっていった。
ーーなぜ、塾の先生の算数は面白いのか?
そんな疑問すら持ち、仮説を立てていた。
娘との両立問題も、息子は理解していた。
2ヶ月もすると、帰宅は一人でするようになった。
お陰で、なんとかなった。
もちろん、彼にも 気分が乗らない日はあった。
でも、辞めたい とは言わなかった。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
その後 再び、小学校にも通うようになった。
彼は学校でも希望し「選択」した。
ーー算数は塾で勉強する
ーー学校ではやらない
学校は、どんな形でも登校開始を大切にしてくれた.
彼は 学校を基盤に「自分の教育を選択」して学んだ.
算数を含む欠席科目は早退、遅刻、別室自習した。
なんだか、大学生のような生活だった。
学校とは、最初にしっかり約束した。
ーー選択に伴う手間・責任は、家庭が負う。
もちろん、学校に申し訳ない気持ちは 常にあった。
普通に学校に通った私には、常にとても苦しかった.
けれど、
何度整理し考えても、他に良案は浮かばない。
ーー全て一緒は、また問題山積に繋がる。
授業も周囲も同じは、好転する要因がない。
苦しがる自分の価値観に、懇願した。
不登校・保健室登校が認められるなら同じ よね?
違っても、許してもらって良い よね?
…….って。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
カスタマイズして登校するようになり、
少しずつ 良いサイクルに切り替わるのを感じた。
学校での問題は減り、連絡も来なくなった。
先生や友達など、周囲との人間関係も良くなった。
ーー転校を決意してくれるまで、このままかも。
と、好転した状況なのに……
相変わらず、私は 毎晩途方に暮れていた。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
小4終わりになる今、
ーー学校でみんなと一緒に勉強したい
ーー1人で頑張るのは 結構辛い
と言い始め、気がつくと……
算数をはじめ、全科目出席するようになっていた。
遅刻ギリギリに登校する以外は、みんなと同じ。
算数塾は、時間が捻出できず辞める「選択」をした.
同時に、彼は新たに「選択」を作るよう言った。
ーー家で塾みたいに勉強をしたい
ーー学校の算数では出来る様になれない
残念なことに、
再び 家庭に「算数」が戻ってきてしまった。
塾の先生は、やはりプロフェッショナル。
ビュンビュン進んだ算数の学習..….
私では、定着し難く、険悪になる事もあり苦戦。泣
塾の先生の代わりは諦め、テキストも変えた。
それでも、今の彼は 言う。
ーー算数は難しいけど 解けると楽しい
随分と粘り強く取り組むようになった。
特に図形系、自作し踏ん張る姿勢は 爽やかで嬉しい.
■とは言っても、一進一退です。笑
大人にも、
ーー痩せるためにジムに行くぞ!
ーー英語を勉強して ペラペラになるぞ!
と決意しても上手くいかないこと、あると思う。
トンガリ息子も一緒で、
自分で決めたのに、続けられないこと….
もちろん、普通によくある。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
3ヶ月ほど前、由々しき事態が勃発した。
息子が希望した算数家庭学習なのに….
ーーー解答を持ち出し、丸写ししたのだ
迷った痕跡のなさで、すぐに分かった。
私は、ちゃぶ台返しの勢いで烈火の如く怒った。
ーー母の時間を何だと思っている
ーー丸つけに費やした時間を返してくれ
ーーあなたの意志、どれ程いい加減か分かった
ーー自分で選んだことなのに、ガッカリだよ
ーーあなたの時間は積み上げる最中で余裕がある
ーー私の時間は切り崩される中での時間なのに
ーー勉強したくないなら、ちゃんと言えばいい
ーー言わずして、適当にやり過ごすなんて卑怯だ
意味不明で関係ないことも ごっちゃで責め立てた。
彼は、瞬き少なめに 静かに泣いて謝った。
言葉を選び間違った、と私は泣くのを我慢し謝った.
以降の彼、もっと細かい単位で模索する様になった.
朝早く起きてやったり、寝る直前にやったり….
Queenを熱唱したり、タイマーをかけたり…
彼の部屋から「わかんねーよ」と苛立つ声や、
ノートに八つ当たり?との形跡が見られる時も。
これは ピッタリを模索中、と思う事にしてる。
算数の進路としては、遅れ始めてきた。
「他のやりたい」に比べ、算数は劣るからだろう。
習い事も趣味も多く、一定の学習時間が作れない。
これ程意欲は低いのに、彼は「算数」を手放さない.
算数を手放さない息子は、並行して 悩む。
--僕に、この学校が本当にあってるのか?
悩みが膨らむと、今もたまに 学校を休む。
その大きな単位で悩むなら、算数は静観が良いかも.
小さな単位の枠内で模索する、きっと大切。
大きな単位で動けるなら、枠内で煮詰まるのは素敵.
--素敵や楽しいに収束するなら、私は安心。
小さな安心 大きく育て、足場固めに役立てる.
これは、私の得意分野。
ーー私は 大きな単位の変化は、苦手だし嫌い。
でも 方向さえ注意すれば、思い込みは強い。
思い込む要因を慎重に増やし、変化に構える.
いつも困りの素になる価値観、
角度を変えると煌めいて見える。
…..とっても 不思議。
■教育の選択、トロッコ問題と似てると思った
こんな様子で、子育て奮闘真っ最中な私。
冒頭書籍の、おわりにある言葉は かなり心強い。
本を開くと、世界の教育の勢いに圧倒されるかも。
でも、きっと 大丈夫。
私達は 全てを明確に知る必要はない、と思うから。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
先日、私と息子は サンデル教授の講義を見た。
トロッコ問題の解決策を集中し考える息子を見て、密かに ひとり納得した。
ーー子どもの教育を選択する辛さ、
トロッコ問題を選択する辛さ、
----両方とも、同じ話だなぁって。
トロッコ問題は、
どちらを選択しても「死者」を出す。
考えるだけで、選択するのは とても辛い。
未来のことは 誰も予測できない。
予測できないなら、完璧な正解は分からない。
あっても、刻々と変化し固定されない。
教育は、未来に向けた行為。
従来の教育を選んでも、死者が出る。
新しい教育を選んでも、死者が出る。
「望まない結果」という「死者」は完璧に防げない
子どもの教育、何を選んでも望む事ばかりじゃない.
「死者」を数える限り、「辛さ」はセットかも。
----ね?トロッコ問題とそっくりじゃない?
繋げるの、無理あるかな??
この経路で考察すると、親は 意識した方が良い?
例外なく「トロッコは1人乗り」の事実を。
トロッコが出す死者の責任は、乗る本人にかかる。
そうなると、
子どものトロッコは、子どもが操縦した方が良い。
ーー選択してないのに責任だけ負う、は不憫 だ。
-----「子どもが選択」大事したいな、と思う
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
やや脱線したから、
親は 全てを明確に知る必要はない、に戻ってみる。
子どもは環境に縛られやすい。
1人では、移動範囲が狭く、人間関係も限られる。
漢字や英語の読みが不自由では、情報収集も困難。
なので、そこを親がサポートする必要はあるだろう.
明確な知識や考えを持つと、正解を得た気分になる.
大切な子どもだから、手伝いたくなる。
親切心から、見解を綺麗に並べ説得したくなる。
ーー「明確に知る」は「子どもが選択」に繋がる?
比較してみる。
何となく知る知識、正解を得た気分にはさせない。
大切な子どもだから、手伝いたくなる。
親切心から、なるべく見解を綺麗に並べる。
ーー「何となく知る」だけだけど、
世界ではこんな感じらしい…と伝える
あとね、
親の心の平穏に「何となく知る」はお勧めしたい。
私のスタメン問題解決法に、
分子=問題、分母=関連情報、と捉えて考える、がある。
ーーとにかく情報を収集し、分母を広げる。
分母が増えると、気持ちがラクになれる。
分子がそのままでも、小さくなるからかな?
----しかも副次的に、この延長線。
案外、問題解決に繋がると思わない?
ちなみに、私の中で この作戦、
孫子の兵法「戦わずして勝つ」に分類。
---- 戦う敵は「心の不穏」。笑
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
以上経緯により、
「小1プロブレム」に不安や苦い気持ちを伴う人に この本が届く事を願う。
「子どもが選択する教育」の分母、
日本から見える選択肢以上に 世界には多数存在する
そう思える機会が詰まってる。
きっと 良いサイクルが始まるスタートになる。
数年前の私にも、知らせてあげたい😭
そして、そっ と添える。
今 海外に行けなくても、大丈夫。
日本でも 作れる選択肢は、多そうだから。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
こんなにも長い文章、読んでくださった方には
心から 感謝申し上げます!
*・゜゚・*:.。.:・ :.。.:* 終 ・゜゚・*: