”アウトサイダー文学”という区分け ――あるいは”掟の門”の系譜――
今回は一冊の本ではなく、一つのジャンルの方について考えてみようかと思います|∀≦*)ノシ
まず『アウトサイダー』という言葉は、クトゥルフ神話で著名なH.P.ラヴクラフトの名作短篇『アウトサイダー』の名前を、小説家で評論家のコリン・ウィルソンが自分の著作のタイトルとして引用したものです。
最初はバルビュス『地獄』、カミュ『異邦人』、サルトル『嘔吐』など実存主義から始まり、
”この世界が希望の無い現実であると悟り、なんとかそこから逃れようとする(そして必然的に破滅する)、無神論小説”
と、この定義を過去のロマン派小説やリアリズム小説、更には小説を飛び越えてT.E.ロレンス(アラビアのロレンス)、ゴッホ、ニジンスキー(バレエ舞踏家)にまで拡大したものとなります。
まずこのウィルソンの著作の『アウトサイダー』は、彼らへの救いの道を見出すという目標を立てますが、見事に挫折して解決策を見出す事は無く、ただアウトサイダーを定義するに留まります。
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しかしこの『アウトサイダー』が名著なのは、その定義そのもの、文学の読み方に新しい側面を与えた事が大きな価値となっています。
私は読書メーターや過去の書評で”掟の門”の系譜、というのを度々提示してきました。これはカフカの短篇『掟の門』をベースに、
”人間には、開かれて妨害が無くとも、通る事が出来ない門が有るのか?
その禁忌を通り越した(あるいは更に奥へと歩み続けた)時に
人を破滅させていく見えない力は何者か?”
西洋ならキリスト教信仰と無神論によって語られる場合が多いのですが、私の様な日本人は宗教をとっぱらって考えられるので、上記の形に纏めて考えています。
で、
ウィルソンの言う”アウトサイダーの系譜”と、私の使う”掟の門の系譜”は大分一致してまして、私は掟の門そのものに着目して、ウィルソンは掟の門を越えた人間のキャラクターに注目してる感じですね。
ただしかしながら、私が思うにウィルソンが着目した人物は”完全に破滅した事により、アウトサイダーの典型例にふさわしい明確な希少品”でして、近代以降の文学・・・・特にドストエフスキーとカフカ以後は、半分以上の文学が”アウトサイダー的な要素”を十分に含んでいると思います。
まあこの点で今はまだ明文化は出来ませんが、とりあえず考えのベースを纏めつつ、自分が今手を付けてるアウトサイダー的な本を挙げておきたいと思います。
ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』
マルカム・ラウリー『火山の下』
ヘンリー・ミラー『南回帰線』
ロブ・グリエ『消しゴム』『覗くひと』
ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』
安部公房『壁』
アーネスト・ヘミングウェイ 初期作品
ブルーノ・シュルツ 全作品
どれも共通して、ダークサイド文学に並ぶ作品になるでしょうか。感想は読書メーター中心に書いて行きますが、長文はこちらで公開していこうと思います~(・ω・)ノシ