「男の業」と「精神の血」 ―冲方丁『マルドゥック・スクランブル』―
鬼才・冲方丁氏の代表作といえば、時代小説である『天地明察』を選ぶ人も少なからずいるだろうが、私はやはり、サイバーパンクSF『マルドゥック・スクランブル』(早川書房)を選ぶ。
『マルドゥック・スクランブル』のヒロインは、大都会マルドゥック市の貧困層の娘として生まれ育った少女ルーン・バロットである。彼女は数奇な運命をたどり、野心家の男シェルの陰謀で、事故に見せかけて殺されかける。瀕死の重傷を負ったバロットは、人命保護を目的とした緊急法令「マルドゥック・スクランブル -09」に基づき蘇生させられる。この小説は、一人の少女の成長物語である。
さて、『スクランブル』はヒロインの過酷な立場から「ジェンダーSF」に分類される事がある。バロットは、父親からの性的虐待の被害者であり、養護施設でも同様の被害に遭い、施設を逃げ出してからは性風俗店で未成年娼婦として働いていた。そして、彼女を身請けしたシェルの愛人になったが、シェルは彼女を事故に見せかけて謀殺を仕掛ける(結局は失敗するが)。しかし、『スクランブル』の「ジェンダーSF」たる所以はバロットら女性キャラクターたちの存在や扱いだけではない。
女性作家が女の「怖さ」や「醜さ」を描くのは珍しくないだろうが、男性作家が男の「怖さ」や「醜さ」を容赦なく描いているのが、この小説の「ジェンダーSF」たる所以である。男性である冲方氏にとっては、かなりの苦行だっただろう。冲方氏はオリジナル版『スクランブル』執筆中に気分が悪くなって嘔吐してしまったそうだが、それはカジノ編の構成の難しさだけが理由ではなかっただろう。
中村うさぎ氏の本に『女という病』というタイトルのものがあるが、『マルドゥック』シリーズは「男という病」を描いている。文字通りの「女殺し」であるシェルの悪夢と過去。「畜産業者」と呼ばれる男性集団の「女」もしくは「女体」への執着と憎悪。そして、バロットの最大の宿敵ボイルドの「虚無」。「男という病」を描いているのは続編『マルドゥック・ヴェロシティ』も同じだが、『スクランブル』においてはヒロインのバロットが男性キャラクターたちの「病」を映す鏡になっていると、私は思う。
ある意味、男性の敵キャラクターたちこそが「真の主役」かもしれない『スクランブル』だが、この小説は女性キャラクターたちが「少数精鋭」なのが好ましい。ヒロインのバロットにしろ、バロットの「師」となるベル・ウィングにしろ、単なる「華」や「賑やかし」などではなく、リアルな人間としての血肉や意志を感じさせる。しかも、ベルは『ファイブスター物語』の剣聖エナにも負けないカッコいいばあちゃんキャラクターである。魅力的な中高年女性キャラクターを描くフィクションは貴重だ。岡崎京子氏の『ヘルタースケルター』の登場人物も言う通り、若さは美しいが、若さ「だけ」が美しいのではないのだ。
【猫沢エミ - Balot】
知る人ぞ知る名曲。
《おまけ》もしも春秋版『マルドゥック・スクランブル』があったらどうなる?
(キャスティング)
バロット…西施
ウフコック…范蠡
ドクター・イースター…文種
ボイルド…伍子胥
シェル…夫差(笑)
フェイスマン…季札(!)
心臓が弱い西施は長くは戦えない「女ウルトラマン」になるだろうな。んで、オクトーバー一族郎党のキャスティングが謎だな。エリートイメージは斉の田氏一族に近いんだけど、スキャンダラスな辺りはむしろ衛公室だろうね。
イースター「へぇ、伊達政宗ってネズミの味噌汁を食べて死にかけたんだってさ。どう思う、ウフコック?」
ウフコック「ドクター、それは女性に向かって『女って嫌よね』と訊くような質問だぞ」
バロット「食べたくない…」
政宗公、かっこいいイメージがあるけど結構「何じゃらホイ」な人なのね。
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