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サブカルチャーの「魔女」たち ―海野弘『魔女の世界史』―
私は鏡リュウジ氏の『魔女術』に続いて、もう一冊の「魔女本」を読んだ。海野弘氏の『魔女の世界史 女神信仰からアニメまで』(朝日新書)だが、こちらは近現代のサブカルチャーにおける「魔女」イメージをテーマにしている。しかし、内容自体は面白く興味深いが、どうも本全体の構成に難がある。後半は様々なジャンルでの「魔女」イメージを紹介しているが、単なるメモに毛が生えているだけのような手抜きに思える。多分、新書としてまとめるには大風呂敷を広げ過ぎて、なおかつ強引に丸める破目になったのだろう。つまり、出版形式に無理があったのだ。
現代の「魔女文化」は、欧米では成人女性中心のフェミニズム的な芸術として表現されるが、日本では「少女」が中心のファッションやオタク文化などのサブカルチャーとして表される。日本の「女性文化」は中高年女性ではなく、少女や若い成人女性が担い手の中心なのだ。ただし、実年齢が若くない女性にも「乙女心」はある(もちろん、全ての女性がそうだというのではないし、例外はあるだろう)。ちょっと昔の韓流ドラマブームは中高年女性の「乙女心」をつかんだものだったし、少なからぬ女たちは「ファンタジー」を求めるのだ。
よく「男より女の方が現実的だ」という言い回しが使われるが、この言い回しを好んで使うのはおそらくは男性の方が多い。ある人は「男は自分らがロマンを追求していくためにこそ、女に『現実』を押し付けるのだ」と言っていたが、確かに男性が最終的に異性愛のパートナー(すなわち、妻や「母親」)として選びたがるのは、足が地についた「現実的な」良妻賢母タイプだ。間違っても、「ゴス」や「ロリータ」などの特殊な「色」の付いた「不思議ちゃん」ではない。
そんな「良妻賢母」信仰に対して異議を唱えるのが、現代のサブカルチャーを含む「魔女」イメージなのだ。
後半のいささか粗雑な「魔女」イメージの羅列に対して批判的な読者もいるが、この人選は納得出来る。安易に「魔女」というカテゴリーを使い過ぎるという見方もあるが、「フェミニズムは一人一派」と同じで、「魔女」を語る(思い浮かべる)人の数だけ「魔女」のイメージはある。マドンナやレディー・ガガのようなポップスターも「魔女」なら、日本の「魔法少女」や「戦闘美少女」も当然「魔女」だ。
ただ、それでもタイトルに「世界史」という言葉を使うのは半ば「看板に偽りあり」だろう。この本が扱っているのはあくまでも欧米と現代の日本の「魔女」イメージだけであり、他の時代や地域の「魔女」たちを扱っていない。やはり、新書という発表形式に無理があったのだ。
【Madonna - Vogue】