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誤解されていく造語たち ―深澤真紀『草食男子世代』―

 私は当記事のために、深澤真紀氏の著書『草食男子世代』(光文社知恵の森文庫)を再読した。これはいわゆる「弱者男性」が話題になる以前の平成時代における様々な男性たちについての批評である。しかし、タイトルにある「草食男子」とは、主に昭和生まれの「オールドタイプ」の男性たちに否定された概念であり、さらに金色打算まみれの女性たち(要するに、色々な意味で欲望丸出しの「肉食女子」たち)にも非難された。もし仮に私が男だったら、臭くてまずい「据え膳」なんぞ食いたくないっつーの!
 そう、深澤氏はこの「草食男子」という造語の生みの親として非難された。

 まずは、平成の「草食男子」と令和の「インセル(不本意の禁欲主義者、非自発的独身者)」は全くの別物であり、「草食男子」は基本的に余裕がある人たちだったのだろう。それに対して、令和の世の日本社会は「男男格差」並びに「若若格差」がえげつないので、この本の令和版はあまりにもシャレにならない内容になりかねない。異世代間格差以上に、同世代間格差の方がえぐいという事態が悪化しているのが令和ジャパンなのだ。もちろん、それは男性同士だけではなく、女性同士の様々な格差にも言える。
 造語に対する誤解といえば、伊集院光氏の造語「中二病」があるが、伊集院氏の造語としての「中二病」と、現在の若者言葉並びにネットスラングとしての「中二病/厨二病」とでは、少なくとも無神論とネオペイガニズムほどの違いがある。それと同じく、「草食男子」という造語は深澤氏の思惑に反して誤解され、非難された。それは、古い世代の男性たちや打算的な異性愛女性たちにとって都合が悪い概念だったのだ(とりあえず、異性愛者ではない女性にとっては、性的な意味ではどうでも良い事態だろう)。
 しかし、深澤氏が定義した「草食男子」とは、世間体のための「見栄恋愛」をしない合理的な人たちである(その合理性は、さらに若い人たちであるZ世代によくあるらしき姿勢となっている)。臭くてまずい「据え膳」なんぞ食いたくない人たちである。いわゆる「肉食女子」が男を選ぶならば、それに対して「草食男子」も女を選ぶのだ(もちろん、ゲイや無性愛者などの性的マイノリティーの人たちの存在も無視してはいけない)。そう、彼らは自らが相手を「選ぶ」余裕があるゆえに、決して「インセル」ではない。その余裕ゆえに、彼らは女性とも友人関係を築けるのだ。

 深澤氏のこの本では、昭和時代のギラギラした男性たちよりも「清潔化」した平成時代の男性たちを取り上げている。この本では団塊ジュニア世代以降の男性たちを「男子」とし、バブル世代までの男性たちを「おやじ」と定義しているが、現在のさらに若い人たちである「Z世代」は、少なくとも「恵まれた」層はさらに「清潔志向」だろう。しかし、同じ「Z世代」でも、「トー横キッズ」に代表される「弱者青年」は、バブル世代や団塊ジュニア世代の「強者青年」とはほど遠い。
 そういえば、世代論を好む人たちはだいたい若い人たち「ではない」。ある程度歳を重ねた人たちが世代論を好むのだ。少なくとも、私自身が現役の「若者」だった頃は、古い世代の「世代論」に対してうっとうしく思えたのだ。しかし、「若者」も「女性」も決して一枚岩ではない。いや、「若者である」並びに「女性である」というだけの理由で一括りにする事態こそが間違いなのだ。

 それにしても、「草食男子」を非難した「おやじ」たちはまさに「余計なお世話」である。ある人曰く「反肉食ヴィーガンが全員肉を食い始めたら食料危機になる。感謝こそすれ嫌う理由が分からない」。それと同じ事は「異性愛市場」にも言える。女性目線から見て魅力的な「草食男子」が「肉食化」したら、「おやじ」の皆様の9割は勝ち目はないよ!

【藤井風 - 花】

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