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【書評】柴谷篤弘『構造主義生物学原論』
【書評】筆者:ゆたか 2025年1月9日
(編集部注:以下本文中の【】内は本からの直接引用です)
はじめに
柴谷篤弘の『構造主義生物学原論』(1985)は,構造主義生物学の基本的な姿勢について少ない頁数で,様々な具体例を交えながら,平易な文章により書かれており,構造主義生物学の入門書として最適な一冊といえるだろう.実際,私は生物学者の池田清彦の著作から当書を知り,難解な構造主義生物学の門を叩いた.
本の概要
第一章では,柴谷の研究対象である,生物にみられる紋様形成理論の分野において,尺度不変性と形態不変性なる二つの構造不変性に関する概念が援用される.柴谷によれば尺度不変性とは,【対象の絶対的な大きさのいかんにかかわらず,定量的に同形の空間配分をもつ紋様が生じる現象】(p.13)である.また形態不変性とは,【与えられた紋様を生成する野の物理学的な組み立て方に差があっても,最終的に現われる紋様の構成が同一になる現象】(p.35)である.本章で,尺度不変性は,カエルやウニの卵割過程で操作を行う実験の結果,それでも形態的に正常な胚が発生すること,蛾や蝶の翅の紋様が,ある種のパターンとして内在している可能性について言及されること,に見いだされる.同時に形態形成原としてどのような物質が機能するかという任意性について言及され,チューリングやプリゴジーヌが主張する散逸構造に依拠した形態形成の理論構成は,尺度不変性とは相容れないことが示される.形態不変性からは,形態の斉一性が物理的必然性に基づくものではなく,個別の生物に還元され,何らかの生物学的一般法則(構造)によって,互いに協力・相互調整が行われているとする視座が提供される.
これらの言説により,非平衡系に見られる散逸構造や反応拡散系などに基づいて生命現象を説明しようとする従来の物理還元主義の困難さについて論じられる.本章では問題提起と構造主義的態度に至るための道具建てがなされている.
第二章では,分子生物学の故事来歴や著者自身の分子生物学への反省が述べられている.本章で柴谷は,【結果の累積のみに目が行ってしまいがちな一般の風潮としては,「分子レベルまで行けば,いままでわかっていなかったことも明らかになる」「どんどんどんどん進んで行けば,やがては生命のすべてが解明される」という暗黙の了解が,この間,逆に流布してきたように思える.これはとんでもない話であって,とくにわたしのように発生生物学をやっている者にとっては,本当に分からないところは,分子レベルまで降りても少しも分からない.】(p.73,74)と述べている.
このような柴谷の危惧は私自身も現代の生物学に対して感じていることである.当書が書かれた時代と現在ではかなり技術的な隔たりはあると思うが,研究を基礎づける信念としては,多くの生物学研究者が同様の考えを今なお持ち続けているのではないだろうか.私は,特にこの思想を実験的手法によって分けられた順遺伝学と逆遺伝学に見出す.結果から原因を特定する順遺伝学,原因から結果を特定する逆遺伝学,原因と結果どちらからでも接近できる,別言すれば,遺伝子と機能の関係を明確に対応付けられることを意味していないだろうか.私にはこれらの手法を規定しているのが,生物体を,遺伝子によって発現した形質の集合体として捉える,単純な要素還元主義の機械論のように映る.極度の近似化である.
第三章では,構造主義の大家諸氏の思想へ柴谷の見解が述べられる.また物理還元主義が分子生物学を駆動する端緒となった遺伝暗号解読と各分野への構造主義の進出が同時期に起こったこと,そのため分子生物学者が自らの立場を見誤ったのは致し方なかったと解説される.更に,ソシュールが提出した対概念,パロールとラングを生命現象一般に窺い知ることを皮切りに,再度生命現象における物理還元主義への批判的検討が行われ,本格的に生物学における構造主義的態度へと接近する.ここでのボードゲームの原理を交えた説明は私にとってはとても理解し易いものだった.
本章で柴谷は構造主義生物学について次のように述べている.
【生命現象における恣意性の深層構造は,表面的な物理現象と表面的な生命現象とを媒介する論理構造であり,構造主義的生物学の主要目標は,この種の深層構造の解明に向けられなければならないのである】(p.122)
第一章,第二章で散々示唆されてきたことについて柴谷が再度言及したのは,構造主義生物学という提唱の大胆さやパロール/ラングの区別の導入故に,読者が物理還元主義の完全な否定形として構造主義生物学を捉えることを危惧したからだろう.
余談だが,任意性についての言及は,「生命の誕生が場の形成による必然的なものだったのか,偶然(奇跡)だったのか」という疑問にも光を当ててくれた気がする.
第四章では,第三章から引き継いだパロール/ラングの区別に加え,ツリー状構造とドゥルーズ=ガタリが提唱したリゾーム構造の区別を基に,具体的な生命現象が検討される.この結果,構造主義生物学は全体論対還元論を止揚するものではなく,その選択の外側へ飛び越えていくものだと提唱される.また構造主義生物学の展望についても述べられている.
私は本章から,構造主義生物学は部分(パロール)と全体を縛っている幅を持った制約(ラング)を理解する学問だろうと解釈した.しかし部分(パロール)の集合として全体が成立するのではなく,あくまでも制約は全方位に適用される.制約に従った部分の集合という素朴な信仰はツリー状構造の典型である階層構造として本章では否定されている.この還元論の否定により,私たちは様々なレベルの生命現象で共通性を確認でき,かつそれをすぐさま単純な体系として捉えることから脱出できるだろう.柴谷が言った,構造主義生物学は全体論か還元論かという議論を関知しないということは,それを選ばないことも両方を選ぶこともできるということではないだろうか.私にはそのように思える.
さいごに
当書は生物学の根底に横たわっている言語学的な基本構造を浮き彫りにすることで,分業化された科学から,方法は何であれ理解すれば良いという,垣根を取っ払った合一的な科学へと再帰する契機となりえたのではなかろうか.また付随的に,私が生物学と言語学の融合点という未知の学問領域へ飛び込むためのスプリングボードとなってくれた.
書評された本
柴谷 篤弘(1985) 『構造主義生物学原論』、朝日出版社