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"青いままでいい"②
本記事は第2話です。第1話はこちらから。
いけないことを考える癖は
きっと明日も同じだろう
いけないこと(=私にとっては自死)を常に考え、どうやったら楽になれるか、迷惑をかけずに消える方法はないのかを考える日々。
良くなる未来など到底思い描けず、涙を流すことしかできなかった。
※一部、センシティブな内容を含んでいます。体調がすぐれない方は閲覧をお控えください。
※筆者は精神医学の専門家ではなく、病気の経過や治療法などを示すものではありません。あくまで個人の体験記としてお読みください。
体調を崩した私は、精神科を受診、そのまま休職して実家に帰ることになった。
相変わらず眠れぬ夜は続いた。体はヘトヘトなのに、目だけは冴えている。ようやく早朝になってウトウトし始める日もあったが、そんな日でもすぐ目が覚めてしまう。
”眠りにつけず迎えた朝日”が恨めしかった。
ただ、目が覚めてもすぐに起き上がることができない。比喩ではなく、本当に起き上がれなかった。
目が覚めて何時間も経ってからようやく起き出し、食卓につく。ただ、食事にはなかなか手をつけられない。お腹が空いているのかもよくわからない。
昼を過ぎて、ようやく朝食を摂れるようになった。
夜になり両親が帰宅すると、一緒に夕飯を食べた。元気のない姿は見せられないと、両親の前では無理して食事を流し込んだ。
一度だけ友人と食事に行ったことがある。仲の良い友人と30分ほど食事をしただけで、1週間寝込んだ。それくらい、エネルギーがなかった。
壊れたバッテリーのように、どれだけ休んでも充電できない。本来楽しいはずのことも楽しくないばかりか、心身ともに疲れ切ってしまう。
あれだけ熱中していた陸上も、何も感じなくなった。嫌いになったわけではない。ただただ、何も感じなくなっていた。
休職してから1週間くらいは、身体を動かさねばという使命感に駆られて無理して練習していた。しかし、次第に練習時間は短くなり、散歩だけに変わり、やがて、何もしなくなった。
ぼんやりと過ごすだけの日々。
せっかく時間があるのだから何かせねばと思ったが、何も思いつかないし何も手につかない。ただ焦りが募るだけだった。
当初は職場と定期的に連絡を取っていたが、そのうち電話に出ることやLINEの既読をつけることすらできなくなった。
音信不通になり心配してくださった上司から父に連絡があった。その電話に出る父の隣で、涙が止まらなかった。職場と連絡すらできない自分が情けなかった。
毎日、ベッドに横になりながら死について考えていた。困った人の役に立ちたいと思って医師を志したのに、人に迷惑をかけてばかりいる。こんなこともできない自分は、この世からいなくなったほうがいいに違いない。死ぬしかないんだと信じて疑わなかった。
気がつけば、人生を終わらせる方法を考えるようになる。
「どうすれば、楽に、誰にも迷惑をかけずに死ねるのだろうか?」
その問いは次第に現実味を帯び、ついには行動に移すようになった。
死ぬための準備を進めたことがある。
遺書まで書いた。
実際に、あと一歩で命を絶つ寸前まで至ったこともある。
しかし、死を望みながらも、それを実行する勇気はどうしても湧いてこなかった。死にたいのに、死ぬことへの恐怖がそれを阻む。
生きるのが辛いのに、死ぬ勇気がない。
そうして、仕方なく毎日を生き続けるしかなかった。
第3回はこちらから。
※2024年8月23日(金)15:00、一部加筆・修正しました。
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