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食べ物を残さないのは「偉い」のではない


私は物心ついたときから、食べ物を残したり、捨てたことはない。自宅での食事も外食もどちらもだ。

もしかしたらそれは、幼少期から父に「米粒一粒残さず食べないと目が潰れる」と言われて育ってきたことも少なからず影響しているのかもしれない。

友人と外食して、少し量が多いのに残さず食べる私を見て、「残さず食べて偉いね〜」と言われることが今までに何度かあった。そう言われる度に私は良い気がしないし、心に引っかかる。

私が食べ物を残さないのは、人から称賛されるためでもなく、所謂“発展途上国”という国々に食べ物に飢えている人々の現実を想うためでもない。

そもそも、食べ物というのは捨てるために作られたものではない。食べ物は飽くまでも「食べ物」であって、「捨て物」ではない。私が残さず食べる理由は、食べ物は食べるためにあるからだ。

素材や食品が食卓に至るまでには、幾多もの労力と想いが重なり合っている。食べ物をただの「モノ」として捉えているからこそ、日本は食料廃棄大国であり続けているのではないか。

日本人が食事を始める前に唱える「いただきます」には、魚や動物そのものの命をいただく、というだけでなく、生産に至るまでに関わった人々への謝意も含まれている。

物を大事にする日本人の文化が完全に喪失する前に、今一度、大量消費社会で生きる生活を見直したい。そして「モノ」を捨てずに食したり使ったりすることは、決して威張るべきことではなく、「モノ」への敬意に過ぎないのだ。