見返りを求めないと生きやすい
期待することに疲れ始めてきたのか、
最近は特に見返りを求めず生きてる気がする。
少し前の自分では考えられない。
陰キャコミュ症を極めると、
数少ない他者との会話や行動に、
平均値よりもずっと求めるものが高くなるように思う。
以前の自分はそうだった、『私がこんだけしてやってるんだから貴方も何が返してよ』と言わんばかりの態度を取りまくった。
見事な黒歴史である。
しかし、そんな態度を取ってしまった相手こそ、長く交流のある相手になっているのが不思議だ。
見返りをめちゃくちゃ求めていた。
ただ、そこそこしか返されないものだよな、でも繋がり切りたい訳でもないし、気にしてもしょうがないよな!と思わせれくれたから、気兼ねなく交流できるようになった、というのが大きいように思う。
まぁ、そんな風に割り切れるようになったのは20歳を過ぎてからなので本当にドドド不器用というか、生きるのが下手くそでしんどくもなるが。
何と言うか、期待からの失望に近い落胆を何回か経ると、期待して他者と関わることが、いかに自分のためにならないかが分かった。
勝手に傷ついたわ…でも相手はノーダメージ?
となったら、ふざけんな!!!となる。
(ここに至るまでに自分は時間がかかったので、この記事に触れてくださった傷つきやすい皆様、どうか『ふざけんな!!』と強く念じ、あなた自身を何も考えずに愛してあげてください。結局自分で自分を肯定するが最大の勝利です)
所謂『見返り』ありきで関わりたくないからこそ、交流が限定され、淘汰されるんだろうな、と。
今まで、自分のその考え方は少数派でダメなものだと考えてきたが、
どちらかというと早熟な考え方だったらしい、
いつも『考え方が年不相応』と言われていたのもそういうことか?と思うものの、疑問符は取れない。
改めて、見返りの意味を確認してみた。
1と2の意味が恐ろしく違う。。。
呼ばれて振り返る、のもある意味相手の期待に応えていそうだが、なんだか相手との距離感があって良い。
私はあなたに媚びませんよ、感があって良い。
(画像は素敵な猫ちゃんの写真をお借りしたのもそんなイメージから)
できれば2の機会は減らしたいと思いつつ、
期待よりも『頼る、任せる、助ける』あたりの、そういう独りよがりでないものを、
これからも大切にしたいと思った。
お疲れ様です、あうぽです。
もし、ここまでお読みいただきましたら、貴重なお時間をありがとうございました。
なるほどと思ったり、
そんなこともあるんだと思ったり、
色んな感想を持っていただけたら嬉しいです。
なるべく笑って過ごせますように、それでは。
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