絵描きの万愚節「Poisson d'avril !」
Poisson d'avril !
新しく目醒める距離
洋梨のSolbetの月に
逆さまに引き込まれる
寄り道は蓮華草54本
手みやげは時空に支配されない
百万本の薔薇
Sacのなかにひしめく蒲公英は
綿の蟲となって
地上に降る
復活の日まで
「Elle est ici !」
(彼女はここに居ます)
画像の作品は、現在の我が家の母コーナーに立てかけてある、F6サイズ (41.0×31.8cm) の小さめの絵です。
詩も絵も、母が逝ったほぼ直後に描いたものですので、17年ほど前の作品になります。古い!
私の母は、四月一日、エイプリル・フールの朝、鬼籍に入りました。
別の記事で少しだけ書いたのですが、笑えない冗談だと思考が宙に浮いたまま、大声で泣きながら,、F120サイズ (194.0×130.3cm) 作品を一気に仕上げたことが蘇ります。
この大きめの作品は、その年の八月、「Poisson d'avril !」というもう一つのF120作品と一緒に、東京都美術館で発表しました。
「Poisson d'avril !」
(余談ですが、この時大きな賞をいただき認められながらも、古い評論家の中には「ひろ生は工芸に走ってるのではないか」と評する方もいました。母の服を裂いてキャンバスに貼り付けたことの意味が、説明しなければわからないため、無用のコラージュと受け止められたのでした。でも、感覚的にわかってくれる方がいればそれで良いのです。むしろ、その反感されたことが、なぜか自慢でした)
それに先駆けて、母の逝った翌月五月には、地元での個展が予定されていたので、負けるもんかと当時1歳のムスコくんを負ぶいながら、せっせと作品を創り続けました。
今思うと、この時のアドレナリンは凄かった。
ろくに食べないし眠らないから、ヤセっぽっちがさらにヤセっぽっちに……でも、普通に、いや、普通以上に動いていました。若いしね^_^;
その時、大きな120号に描かれた母からエールを送られたような気がして、個展のために、同じ母のモチーフでこの小さい6号に描きました。
題名は、「Elle est ici ! (彼女はここに居ます)」まんまです。
この作品はその後、その年の十月にグループ展に出品、それから十何年も経ってコロナ前の年の個展に、作品の方向性の転機になった作品のひとつとして出品、あとはずうっと我が家の母コーナーに鎮座しています。
ほぼ、作品を壊す私が残してある、数点の作品のうちの2点です。
もうひとつ母へ
エイプリル-フールを表す「万愚節」という言葉。
季語として、以前の記事で俳人アポロくんに教わりました。
その時の母への想いと心境を詠んだ俳句
四月一日や旅立つ母の道草は
で、わたぬきは季語としては認められていないようなので、俳人アポロくんが推敲してくれました。
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本当に母が旅立ち万愚節
母が旅立ったことがウソならいいのに……素直な心情を詠んだ方が良きと。
ありがとう。
なので、この句とともに
今日、四月一日は、母の好きな花を山ほど飾ってあげるのです。
母はいつも見守ってくれているはずだから。
母への想いの句が登場した記事
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ひろ生の個人的な四月一日への想い。
最後まで読んでくれてありがとうございます。