私とクラリネット②
私の住んでいるところは、本当は楽器演奏など騒音問題の元になるような事をするのは禁止事項となっている。
だが、私はここに引越しをしてから、まもなくこの建物の階段から落ち、足を骨折し、仕事を休むことを余儀なくされた。私は、動けない状態ではあったが意欲はあったので、思い切り、リコーダーなどをやっていた。
私が、楽譜を書くようになったのは、ライブ配信で演奏したいからだった。ポコチャというライブ配信アプリには、その配信内で使用できるポコチャカラオケという機能が用意されているのだが、それを楽器で演奏してみたいというところからだった。
まだミューズスコアという楽譜制作のソフトを知らなかった頃は、スマホなどで五線紙をダウンロードして、コンビニで印刷しては、シャーベンと消しゴムを使って書いていた。
仕事を辞めて、時間が出来て、楽譜を書くことだけに没頭するようになり、また自宅での楽器練習も、またせせこましくなってきていた。というのも、大家さんから直接言われたことはないのだが、私が自宅で練習をしていると、ドアの前に人が集まっているようなそんな気配を感じる。
私はドアスコープを覗く勇気もないし、気配だけだが、そういう風に感じる。最近、引越しのトラックも来ていたみたいだし、新しい入居者から苦情が出ても不思議ではない。
私が、楽器可物件に引越したいと言い出してからは、もう結構経つ。今、私は生活保護下にあるし、この理由では保護費で引越しをするというのが、叶わないようだ。
仕事を、辞めてから、楽譜制作ソフトで楽譜を制作し、Piascoreという販売サイトにのせるという事にハマっていた訳で、現段階では、邦楽約90曲、昔の曲約15曲、クラシックなどのピアノ教本の丸写しなど、計100を超えるアップロード数となった。
他の記事でも書いたが、人間は欲深い生き物なのか、どうしてもお金をもらうという事を考えてしまうのは、どうにかならないものかと考える。
ただ、今自分にできることをやるだけなのに、ココナラを始めた辺りで、完コピや作詞作曲ができる人などが多く、私は何もできないじゃないかと自分を卑下したり、責めてしまった傾向がある。
お金は関係ない。
自己満足でそれでいい。
ボランティアでいいじゃないかと思うのだ。
みんなそれぞれ、神様からひとつずつ賜物を授かっているのだから、それを全うすればいいだけなのに、人間はどうしてこうも欲深いのだろうと考えさせられる日々である。