平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯 を読んでいます。その2
先に敵役のことを色々書いておいて主人公のエドモン・ダンテスを後回しにするのはいかがなものか。
と思うけれども、1巻前半あたりのエドモン・ダンテス氏、小説の登場人物としてはあまり面白みがない。と個人的には思う。
いや、とても良い奴なのはわかる。病身の父親をいたわる姿とか、本当に良い息子なんだろうと思う。ダングラールとダンテスと、どちらと同僚になりたいかといえば圧倒的にダンテス。
なのだが。
「屈託のない」という言葉は、だいたいは褒め言葉として使われる。
エドモン・ダンテスは「屈託のない」男だった。朗らかで人によく好かれ、卑怯な行いを許さず、かと言ってすぐ報復に走るような気の短さもない。
自分の正しさを信じている、というよりは、正しい行いをしているうちは、正しい道を歩むことができる、と信じ切っているような人間。
投獄されて十七か月たった際に、見回りにきた視察官とのやり取りがこれだ。確かにダンテスがヴィルフォール他の心中や事情を知ることはなかったが……それにしても、である。根性曲がりの読者である私は、ダンテスのあまりの人の好さに少々呆れてしまう。
視察官に託した釈放の願いも泡と消えた。ダンテスは自分の願いが叶わなかったことを実感するまでに十か月近くも待ち続けていた。
ここでようやく、ダンテスの中に「疑い」が芽生える。他者に対してではなく、自身の感覚についての疑いだ。あれほど強く主張していた自分の無実を疑いはじめた。
話し相手はおらず、無口な看守に一方的に話しかけるだけの毎日。ダンテスは人間ではなく神に祈り、願うようになった。
人間にも神にも見向きもされなかったダンテス。彼はようやく、信じ願うだけでは何も変わらない現実に打ちのめされる。みずからの幸福は、明白な理由もなく、突然の不運により破壊されたという考えに至り、それを何度も何度も咀嚼した。
苦しみを反芻するなかで、ダンテスは考えたに違いない。
「そんなはずがあるか!」と。
ダンテスの苦しみは怒りに変わった。周囲の諸々、自分自身さえも怒りの対象だった。そんなとき、ヴィルフォールが見せた密告状が心に浮かんできた。あの密告状は嘘に塗れていた。そして今のダンテスには、その嘘が何を動機として書かれていたのか、わかるようになっていたのだ。
ダンテスは復讐へのとっかかりを、このとき初めて掴んだ。
自分が自由の身になることではなく、自分を地獄に突き落とした奴等を同じ目に、いやもっと苦しみを与えてやらねばならないと強く願ったのだ。
エドモン・ダンテスが今までの素朴な好人物としての人格を自ら打ち壊し、憎悪をあらわにした瞬間。『モンテ・クリスト伯』第1巻の中でも大好きなくだりである。
まだ知識も知恵も浅く、財もない。
彼がパリ社交界に謎めいた大人物として登場するのはまだ先の話だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?