【思い出】読書感想文。これだけは…
文章を書くのは昔から好きだった。でも、読書感想文。これだけは嫌だった。
作り話の感想を書く…という思い込み
読書そのものが嫌いということではなかったが、物語は好きではなかった。どうして、他人の作り話を読まされなければいけないのか。幼心に、そんなことを考えていた。それゆえに、よく読んでいたのは地図帳と工作、それから料理の本。小学校の読書の時間も、そんな本ばかり手にしていた。何も言わなかった先生は寛大だったと思う。
でも、さすがに地図帳や工作、料理の本で読書感想文を書くのははばかられ、物語を選ばなければいけないと思ってしまった。無理矢理選んだ本で書く感想文。小さいころから、勉強も読書も、やりたいからやるのだと思っていた自分にはつらかった。
読書感想文には制約もあった。先生からあらかじめ「あらすじを書くのはダメ」「同じことを繰り返してはいけない」などと指示された。書きたいように書くのが感想文なのに、制約をつけられるのも嫌だった。
優秀作品を見てしまった
ほかの子どもたちがどんなふうに読書感想文を書いているのか? よせばいいのに、小学生の私は気になってしまい、優秀作品を読んでみたことがある。
そこには、私が思っていた読書感想文とは違うものが載っていた。感想文を書いた本人の経験した内容がメインだったのだ。身体が不自由だけど主人公に勇気づけられた…とか、戦争の話を読んだので広島に連れて行ってもらった…とか。
ひねくれていた私は、「結局、エピソードかよ!」と思ってしまった。そういうものがなければ、いい感想文は書けないのかと。そういう感想文がほめられるのかと。
それに、やっぱり地図帳とか工作の本の感想文なんて載ってないじゃないか!物語の感想文ばっかりだ!
ずるずるとこじらせて…
ほかの勉強は不満も言わずにしていたのに、読書感想文についてはなぜかだいぶこじらせてしまった。結局、読書感想文を書く楽しみとは何なのか分からないまま、ずるずると高校卒業までを過ごしてしまった。
今となっては
30歳を過ぎた今となっては、いくらでも書きようはあったと思う。工作の本なら、工作だけではない日常生活で生かせる場面がありそうといった話や、料理の本なら家族に作ってみてどうだったか、みたいな。作り方のここが分かりにくい!みたいなダメ出しまでしてしまったら、先生が許さないかもしれないけど。
再び、優秀作品を
よせばいいのに、最近の優秀作品を読んでみた。優秀とされる作品の毛色は、昔とそんなに変わらなかった。主人公に勇気づけられて困難を乗り越えようと頑張った人の作文もやはりあった。そして、工作や料理の本を題材にした読書感想文はひとつもなかった。
ルールは守りつつ…書きたい本で書きたい感想を
でも、別に評価される読書感想文を書く必要はない。書きたい感想を書けばいい。そこのあたりを、当時の私は達観できなかった。最低限のルールを守りながらでも、いい感想文が書けたんじゃないかなーと思う。
でも…
やっぱり読書感想文コンクールの豪華賞品ほしかった。
別に、子どもの読書感想文の良し悪しをわざわざ評価しなくても、いいんじゃないかな…。