メダカの水槽のなかの世界
我が家の水槽は半年以上水替えを行っていない。
中にいるのは
メダカ・ヒメタニシ・ミナミヌマエビ・アナカリス・ホテイアオイ・目に見えないバクテリア等微生物
餌やりとたまーに側面についたコケをブラシでちょっとこするだけ。
それでもずっと水はきれいなまま、臭いも全然しない状態です。
メダカは餌を食べる。
ミナミヌマエビは餌の残りを食べる。
さらに、ほっとくと増えてしまう藻も食べる。
ヒメタニシは食べ残しや藻を食べ、水のろ過もする。
ホテイアオイやアナカリスは光合成をしてくれ、他の生物の呼吸に必要な酸素を提供する。さらに、余分な養分を使って成長し、生物の隠れ場や卵の生み場となる。
微生物は枯れた水草や生物の糞を分解し、水をろ過するものもいる。
そうしてその生物たちが住むうえで、きれいすぎず汚すぎず絶妙なバランスを保っている。
これは人間(私)から見た理想の形である。
また、そこに住んでいる生物にとっても都合がいいとおもわれる。
目に見えないバクテリアたちの力に私は魅了された。
目に見えないほど小さいのに、我々の目に見える働きをしていると。
そして、飛躍したように感じるかもしれないけど、自分の無力さを責める必要はないのではないかと感じた。
食事をすれば巡り巡って誰かの収入になる。
少額の募金をすると誰かが救われることだってある。
バクテリアもすごいけど、自分もバクテリアのように存在し行動するだけで誰かの役にはたてると思う。
しかし、きれいな水が好きなカワニナや汚すぎる水が好きなユスリカにとっては都合が悪いであろう。
この絶妙なバランスは、ひとたび餌を大量に入れただけでも崩壊しうるものである。
私やそこに住んでいた生物にとっては非常に都合が悪いけど、汚れた水が好きな生物にとっては逆に都合がよくなる。
何とも言えない
人間社会も非常に似ているとも感じた
SDGsで海・陸の豊かさをまもろうという項目があるけど、地球の歴史から言えばなんてことのない話だと感じることがある。
昨日の噴火からも人間の力が自然からすると無力に近い者であることが感じられる。
生物は幾度となく大絶滅の歴史を繰り返し、その都度生きのびたものたちで今の命がつながっている。
絶滅した種から見るとそれは大変なことであるけど、そのことによって助かる命もたくさんある。
また、絶滅種のほうがロマンがあるという人もいる。
今は存在しない種に思いをはせる。
それも人間の心を豊かにするであろう。
しかし、絶滅しそうな生物たちには、絶滅せずに生きてもらいたいとおもう。
エゴなのかもしれないともおもう。
何がいいたいかは自分でもよくわからない。 すべてが絶妙に関係しながら今のバランスを保っている。
それをいいととらえるか、悪いととらえるかは内から見るか外から見るかでも大きく変わってくるのは間違いない。
結局正解のない話だから、個人でどうとらえるかなんだろうというおもいもある。
そんなことをおもっている私である。
しかし、バクテリアの話でいくと私利私欲で生きているだけでいいことになるけど、私は私利私欲のためだけに生きるのではなく、自分の目に届く範囲の人や世界に対し、自分の能力の範囲で最大限力になる人間でありたいとも感じている。
そんな社会が私の理想
あくまで私の理想