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『私の使命ってなんでしょうか?』という人たちの本音。
『使命』って、知りたいですよね。
自分は何をするために生まれてきたんだろう?
誰もが一度は知りたくなったことがあるはず。
かくいう私も、小さい頃から占いやおまじないが大好きでしたし、数年前スピリチュアルにどっぷりとハマっていたころ、こういう話が大好きでした。
そんな私は『使命を知る』ことで、一体何を得たかったんだろう...。
最近になって、ふと思いました。
きっと...
その頃の私は『進む方向の答え』と『自分がたどり着く目的地の正解』が欲しかったのだと思います。
もっと簡単にいうと...
『間違いたくない』
『失敗したくない』
『傷つきたくない』
『効率よく最短距離ですすみたい』
『楽に正解を知りたい』
『無駄なエネルギーと時間とお金を使いたくない』
『使命を知りたい』の奥の方に、こんな本音が隠れていたのです。
我ながら、ずるいやつです。
こんなふうに偉そうに綴っている今も、ずるさは持ち合わせていますが 笑
スピリチュアルというきらめいた雰囲気のベールに、生々しい本音を包んだら、ずるさをいい感じで隠せていた気がします。
『使命』は『命の使い道』とも言われたりします。
命に限りがあるならば、今回の人生で自分がやると決めてきたことに、素早く到達したいと願うのは、もしかしたら自然なことなのかもしれません。
私も自分が何をするために生まれてきたのか、ずっと知りたいなぁと思っていました。
でも最近は『それを誰かに聞いてみたい。教えてほしい』とは感じなくなりました。
それはなぜかというと『すべての回り道が私の人生には必要だとわかったから』です。
ひとつ前の記事で書いた、料理代行人になった話もそうですが、47歳にして、やっと人生の伏線を回収している感覚があるのです。
流れに乗って、やがてある所へたどり着くから、人生は面白いのだなぁとも感じています。
数秘を使って読み解いているときにも感じていましたが、数字のプラス面を活かしながら光って生きている人たちの共通点。
それは『よくわからないけど動いてみた、やってみた』というスタンスです。
動いたからこそ、見えてくる世界。
動いたからこそ、進んでいく景色。
うまくいかないことがあっても、やってみる。
いろんな経験がその人たちを輝かせている。
それとは反対に『私の使命はなんでしょう?』と誰かに尋ねてまわったり、動くよりも前に答えを先に知りたい人たちは、納得できる正解のようなものが目の前に現れるまでは、不安で動けない。
間違えたら嫌だから、怖いから、動きたくない。
ただ、そんな中でも、誰かが教えてくれた言葉をちいさな糧にして、背中を押されながら動いていく人たちは、きっと自分の足で歩けるようになる人だろうと思います。
数秘術をツールとして使っている私がいうのはなんだか変ですが、『使命』って誰かが教えてくれるものではなくて、自分で動いて肌と肚で感じて、見つけていくものだと思います。
あなたの使命を、誰かに聞かなくていい。
だれも『正解』なんて教えてくれない。
だって、誰がなにを言おうと、その後に何を選ぶかは自分次第なのだから。
どんなふうに生きたいか、誰のためにその命を使うのか、瞬間瞬間を大事に、自分で決めて動いてみる。
どんな出来事も、もがきも、肥料となって蓄えられていく。
その積み重ねが、ゆっくりと、確実に、わたしたちをどこかへ運んでいく。
今はそんなふうに思います。
占いやセッションは、ここから先の正解や答えを教えてもらうものではなく、自分の背中をえい!っと押すための材料。
今まで生きてきた自分の道のりを振り返って、よくやってきたと労うための材料。
今後セッションを受けてくださる方には、そんなふうに活用していただけたら、本当に嬉しいです。
最後に『使命を知りたい!』とあちらこちらに気を散らしている過去の私よ。
怖いだろうけど、勇気を出して、ひとまず動いてみたら?
焦って知ろうとしなくても、きっとそのうち見えてくるよ。
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