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表現するとは解決する事です。解決するとは、形を創り出すと事です。
小林秀雄『考えるヒント3』文春文庫、2012年。
本書では、歴史教育・歴史学への批判が随所で展開されている。当時流行していたマルクス主義、そしてそれに基づく唯物史観というものが、それだけ大きな影響力を持っていたということを示していると言える。些事であれば、ここまで議論の対象にはならないはずだからだ。
唯物史観に基づいた研究に対する批判は、以下のようにまとめられるだろう。そもそも唯物史観は何か。社会主義社会の実現に向けて、市民革命、資本主義社会を経て、マルクス主義へ至るという理論で、実際の歴史において明治維新は市民革命にあたるのか、とかフランス革命は市民革命であるとかいう議論がそこでは展開される。こうした議論は、本来、現実を理解するために作られたはずの理論が、いつしか理論を成り立たせるために現実が見られるようになるという状況に陥ることがある。小林は、唯物史観に基づく歴史学の議論に、この状況を見てとったのだろう。
繰り返しになるが、理論は現実の理解を容易にしたり、理解を深めたりするために編み出される。しかし、徐々に理論が発達していくと、目的と手段が逆になってしまうことがある。つまり、理論を精緻化させるために、現実が参照されるようになっていくのだ。その先に待っているのは、当該分野あるいは領域の蛸壺化だろう。理論に関する議論の陥穽にはまらないためには、何のために、どのような目的で理論を必要としたのか、その出発点を忘却しないことが大事だろう。
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