Non oggi.(今日じゃない)
いつもより遅めに起きて、窓越しに空を見る。
いつもどおりにマンデリンを濃いめに入れる。
正面にあるテレビ画面に映り込む己が姿に、蝦蟇のように脂汗が流れそうなので、カバーで覆った。
夫が去ってから、彼が好んだ黒や焦げ茶を、とにかく一層しかたった。
彼が憎かったということではなく、明るくてきれいな色の中で暮らしたいというのが、子供のころからの夢だったから。
安価で買えるものは買い、買えないものにはペンキを塗った。
一時、ペンキ塗りは、私の趣味の主たるものだった。
塗りたくて塗りたくて、塗れるものはみな塗り尽くした。
刷毛やローラーは100均で買ったが、ペンキだけは厳選して素材と色を選んだ。
夫が残していった大きな書斎用デスクや袖机、キッチンのカウンター、照明のシェード、掛け時計の縁、知人が捨てるというカラーボックスやキャビネット。
私の暮らしから黒や焦げ茶を追放することが、私自身の脱皮。
皮を脱ぐのだ。
殻を破るのだ。
少女のようにきれいな色を求めてカーテンやラグを換え、クッションカバーを縫い、ラタンの家具に同じファブリックを貼り付けた。
玄関の黒い床にクッションマットを張った。
オレンジががったキャメル。
余ったマット地を下駄箱の上面にも貼る。
これだけで、玄関がうんと明るくなった。
だから、うちは玄関の床を雑巾またはフローリング用のモップで拭く。
キッチンに敷いてある素材と同じだから、裸足で歩ける玄関になった。
白い壁紙と植物がモチーフのウォールシールも貼った。
平日は正業、土日は副業、休みなく働き、夜中にひとりペンキを塗った。
月に80時間の残業をして、食費と日用品費で1万円で暮らした。
そうやってお金を貯めて、高いペンキを買い、トルコ刺繍のレースのカーテンをオーダーした。
カーテンをオーダーしたのは初めてだった。
これは、私の「築城」だった。
昨年末、どれも15~20年使用となった家電を一斉に買い替えた。
大きくなったテレビ画面の「黒」が、正面に座った私を威圧する。
ネットで安いテレビカバーを買って掛け、問題解決。
これで仕事中ふとあげた自分の姿が、黒い画面に映っているのを見なくて済む。
仕事中は、BGMとして、Spotifyに集めた「お気に入り」の音楽をランダムで流している。
PCからBluetoothでテレビの前に置いたサウンドバーに飛ばしている。
新しいテレビはどんどん薄型になって、割を食ったような形でスピーカーが背面に押しやられている。
音が前に来ないのが不満だったので、サウンドバーを設置したのだが、PCやタブレットのスピーカーとして重宝している。
これから老いて、聴力が衰えればなおのことだろう。
「DOCあすへのカルテ」のシーズン1で、銃撃で12年間の記憶を失った医師アンドレアが、殺到する重篤な患者への対応に疲弊し、無力感に打ちのめされた仲間の医師たちに言う。
「今日できることを明日に延ばすな」と母にはよく言われた。
でも私は「明日でもできることを今日やるな」と思って生きてきた。
「今日」しかできないこと、今日やらねばならないことをやる。
そして、これまでの私は、家族の喧嘩の仲裁、子供時代の内職、介護、結婚してからの仕事や家事や、やっぱり介護。
離婚してからも介護。それから仕事。
「今日やらねばならないこと」が鎖のように私をがんじがらめにする。
でも。
どんなにしんどくても、死ぬのは今日じゃないのだ。
家族が死んで、私を縛っていた鎖の多くはほどけた。
あとは体力とお金の不足の問題が残ったけど、これからまだどんなひどい状況になろうとも、死ぬのは「今日」じゃない。
人はみな、生まれたときから着実に「死」に向かって進んでいる。
その日が必ず来るとしても。
でもそれは「今日」じゃない。
天涯孤独になって「やらねばならない」という意識の排除に努力している。
今日はただ生きて、そして何があっても生きることをあきらめない。
何を成したか、何を遺したかなんて、どうでもいいこと。
「雨雲が近づいています」というメッセージがスマホ画面に現れた。
淡くて優しい色合いに染められた私の「城」には、グレーの空が似合う。
さて、10時からのリモート会議で本日の就業開始。
「午前中
なにをしていたか
忘れてしまった
そんな
人生の午後がいい 」
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