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私が終わりに見る街は

能登地方の大雨のピークは過ぎたようだが、しだいに明らかになってくる被害状況に胸が痛い。
関東地方も先ほどまで横殴りの雨が降っていたが、いまは日が射している。

制作が発表されたときから期待していたドラマを昨日見た。
山田太一の原作「終りに見た街」のリメイク。

1982年に最初にドラマ化されたときの細川俊之版の記憶がどこかにある。
シーンの記憶というより、印象の記憶だ。
次の中井貴一版は記憶にないから見なかったのかもしれない。

自分の中で「リメイク版には注意」という警告を出している。
どうしても、最初に見たものが「あるべき姿」として脳裏に刻まれるから、比較しては相違点を非難しがち。
自分の心の平穏のためには、見ないほうがよい。
でも、今回はクドカンである。
見ないではいられない。

どちらも「それぞれに良い」と思えるには、作品の出来もあるが、自身の既存ファイルを上書きせず、新たに別ファイルを用意しておく必要がある。
そういうつもりで、見た。

見ていくうちに、過去作を思い出したところもあれば、逆にわからなくなった部分もあった。
こんなだったっけ?
でもまあ、前の作品がどうだったかはどうでもいい。

総じて、ファンタジー色の強さが気になった。
時代を令和に移したので、実際の戦争を体験したのは認知症の母だけになってしまったことはやむをえない。
しかし、主人公と妻にも、前作のような幼少期の戦時の記憶もないので、「戦争」自体がまるっきり絵空事になっている。
その他人事感が「負けるとわかっている戦争」を回避しようとする行為に対して説得力を持たないのだ。

もちろん私も戦争を経験したわけではない。
だから、戦争に対する感覚は、登場人物たちと似たり寄ったりのはず。
それなのに、どうしてだかモヤモヤする。
緊迫感が足らないように感じてしまった。

ところどころに挟まるコメディ色のせい?
いや、でも私は、クドカンは、緊張と弛緩のバランスが巧みだと知っている。

話が進むにつれ、それがファンタジー感が強すぎるせいだと気づいた。
昭和と令和という時代の差によって生じた文明の差。
黒電話は電源接続が不要だったけど、いまの電話機は電気がなかったら通じないのよね。
それと、タイムスリップものが本質的に孕む矛盾を、ファンタジーというヴェールをかけることで煙に巻かれたような感じがある。

同時に、これが視聴者に「ファンタジー」として捉えられたらイヤだなと思った。
それはきっと、クドカンが意図したものとも違うような気がした。
でも、ファンタジーを通してリアルを感じさせるには、何かもうひとつ足らなかった。
時間だろうか。
描写だろうか。

説明がほしいわけではない。
結末や真相を見ている人にゆだねても全然かまわない。
むしろ私は、あまりにシンプルでわかりやすいものは苦手だ。
でも、だとしたら、もうすこし想像の手がかりを与えても良かったのではないか。
私は、前作で知っていて、違う展開を想像する余地があったけれども、初見の視聴者からは、結末に「?」という投稿が多かったのは残念なことである。

前作ではラストが衝撃で恐怖だった。
今回、一番怖かったのは、片腕がちぎれた描写やラストの破壊された街より、若者や子供が洗脳され「お国のため」とか言って戦争を肯定するシーンだった。
戦争って死んだり殺したりだけじゃなくて、それを肯定する人が増えていくのが怖いのだ。

タイムスリップ時、applewatchがどうのと騒いでいた子供たちが、「負けるとわかっている戦争」を批判する親に「勝ちゃいいんだ!」と逆に説得するシーンが、真に恐ろしかった。
「戦争がダメ」という価値観が、「戦争に負けることはダメ」になってしまう恐怖。
そう感じたのは、私だけだろうか。

1982年は、まだ冷戦時代だった。
戦争は、アメリカとロシアに代表される東西の対立からもたらされるものというイメージがあった。
それは、私にとってどちらも遠い国の話だった。
そうして私の中には、「日本は戦争をしない国」という安心感が確かにあった。

けれども、あれから「日本は戦争ができる国」になりつつある。
北朝鮮はミサイルを飛ばしてくるし、中国との関係も万事良好とはいえない。
ロシアは、ウクライナ戦争以降、完全に日本の敵国になってしまったような印象がある。(私は戦争をやめないという点で、両方とも嫌いだが)

政府は同盟国(?)の反撃を待たずに先に自力で撃てるように、アメリカからミサイルを買おうとしている。
誰が自民党総裁になっても、憲法にも手をつけようとしている。
緊急政令は、憲兵隊の取り締まりを想起させる。

だから。
最初にこのドラマが作られた1982年より、戦争に対してはいまのほうがずっとリアルな恐怖がある。
でも、それだけに、そこが十分伝わらなかったような不足感が否めない。

とはいえ、面白くないとは思わない。
こうして、ああだこうだと書けるだけでも、放送してもらって良かった、見て良かったと感じている。
なんだかんだ、クドカンはすごい人。

「平清盛」を見るために加入した有料配信(無料期間だけ)で、「岸辺のアルバム」を見始めた。
オンタイムでも見ていたが、そうそう、山田太一ってこんな感じだったよねと思っている。


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