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1986年といえば

1986年といえば「1986年のマリリン」だろう。
なんといっても、何年のヒット曲かすぐにわかる。←そこかい!

「不適切にもほどがある」を見た。
今季のドラマで、まだ初回が放映されていないのは「つくたべ」のシーズン2だけとなった。
こちらも視聴予定。

1986年からタイムスリップしてきた「昭和のおじさん」から展開する話だ。

38年前は、スマホもケータイもなかった。
うちにあったのはPCではなくワープロ。
会社にあるコンピュータは一般的には「オフコン」と呼ばれていた。
世代を計るグッズとして「でっかいフロッピー」がある。
「ソノシート」の厚目のやつ、と説明すると「ソノシート」自体がわからない人が多いだろう。
私の最初のキーボードでの入力は「親指シフト」だった。
ほとんどの人に「なんのこっちゃ」と思われる。

38年で機器はもちろんのこと、生活様式が変わり、常識と呼ばれるものや正否さえ変わってしまった。
「ここまで来るのに30年以上もかかった」と思うのか、「たった38年でこんなに進歩した」と感じるのか、それぞれがそれぞれの年齢に応じて、過ごしてきた社会を振り返り「我がこと」として入り込めるのが、このドラマの面白いところかもしれない。

散りばめられた「小ネタ」に突っ込めるのは、40代半ばくらいからだろうか。
幼稚園のときテレビに合わせて「ピンクレディー」を踊ったという人でも、もう40を二つ三つ超えているはず。

1986年の総理大臣は、中曽根康弘だった。
「男女雇用機会均等法」が施行され、チェルノブイリの事故が起こり、「葬式ごっこ」がいじめの代名詞になり、若い世代は「新人類」と呼ばれた。
この「新人類」がいま、不適切満載の昭和おじさんとして描かれているわけだ。

大河ドラマをググってみたら「いのち」だった。
知らんがな。
大河ドラマは結構知っていると思っていたのだが、隙を突かれた気分だ。
朝ドラは「はね駒」。
こちらは、飛び飛び視聴していた。
配信も録画機能もなかったので、見られるときだけ見た。
「苦労を経ての成功譚」というよくある感じの朝ドラの印象。
斉藤由貴と渡辺謙が出ていたが詳細は記憶にない。

38年前は、当然ググるなどという言葉も行為もない。
ネットがなかった頃、わからないことをどうやって調べていたのか、あまり思い出せなくなった。
辞典や「イミダス」「現代用語の基礎知識」を繰るか、学校や職場なら誰かに直接尋ねていたのだろう。

ドラマは、この年の大ヒット映画が「バック・トゥー・ザ・フューチャー」だったことを踏まえてのストーリーになっている。
デロリアンが飛んでから38年かと思うと感慨深い。

ドラマの細かいストーリーについては、多くの人が書かれているので割愛。
私はクドカンファンだし、昭和の小ネタには「あまちゃん」でもいちいち反応しては喜んでいたので、今回も大いに楽しんでいる。

「話し合いましょう」をミュージカル仕立てにしたのは、正論をまともに言うのが恥ずかしいからだと思う。
こういう恥ずかしさが好き。
三谷幸喜も、いいシーンのあとに必ずチャチャを入れるが、これもたぶん感動を引っ張るのが恥ずかしいからだと思っている。

「光る君へ」の第3回で、「下々の女に懸想している」道長が姉の詮子に「身分の卑しい女などしょせん慰みもの、とっとと捨てておしまいなさい」と言われるシーンがあるが、この感覚が割と昭和まで続いていたのかもと思うと、ここ最近になって(私にとっては最近)やっとジェンダーやハラスメントに対する意識が変わってきたことに「へぇー」という思いだ。

そりゃあ、ついていけない人もいるわな、というのが正直なところで、これが「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか」を興味深く見ていることにも繋がってくる。

私としては、「ガンバレ」は誰に言われたかで感じ方が全然違う。
好きな人に「おはよう」と肩に触れられたら嬉しいけど、嫌いな人にされたら「セクハラ」だと感じてしまうのと同じ。
言葉や行為だけのせいじゃないのよ。

一律に「多様性」という言葉で切り捨てられてしまうものがあるなら、それは「多様性」じゃないよな、というのが昭和おばさんの総括的な感想。

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風待ち
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