見出し画像

「あなたはだれにnoteを書いているだろうか?」

昨日は所属するコミュニティで、週に1回開催される会議があった。それぞれが自分のやりたいことの実現のために、今なにに取り組んでいて、この1週間はなにをして、今どこでつまづいているのかをシェアする1時間。会社ではなく、個人の集まりなのでそれぞれのやりたいことは分野も規模もまったく異なるから面白い。

そのなかで1人が頭をひねりながら質問した。

「ブログを書くときになにを考えていますか?」

聞けばブログを書こうとは試みるものの、なにを書けばいいのか、こんなことを書いても意味はあるのか、と思考がぐるぐる回り結局は書けずに終わることが多いのだそうだ。

気持ちはすごくわかる。私も毎日noteを更新しているが、そうやって書き始められないときがよくあるからだ。noteを開くとタイムライン上に山のようにnoterさんの記事が並ぶ。日記だったり、エッセイだったり、感じたことだったり、ノウハウだったり、種類や内容はさまざま。

なにを書いてもいいからこそ、なにを書いたらいいかわからなくなる。
むしろテーマを決めてほしい。こんなことを教えてくださいと言われたら書けるのに、なんて考えたりもする。

質問をしてくれた彼にはこう答えた。

「今日の気づきや学びをアウトプットすればいいと思う。昨日の自分に教えてあげるつもりで」

今日、自分がした経験で「なるほど~」とか「それはないだろ~」とか「そんなことあるの!」とか、感情が動いたこと。それは最高のネタになるからだ。

昨日の自分は今日の自分が経験したことや、今日読んだ本の内容を知らない。なにも気づきや学びのない1日ということはないはずだ。

人と交流すればなにかを話しているはずだし、1人で過ごした日だって1日中その場から動かずぼ~っとしてましたなんて日はないと思う(それはそれでネタになりそうだが)。

なにか記事を書くというと、だれかの役に立つ記事を書こうとする。それは正しいし、その「だれか」は他人でなくてもいい。昨日の自分であってもいいのだ。そして、自分の気づきや学びを記事にすることは、結局は昨日の自分だけではなくだれかの気づきや学びにつながる。

考えすぎることはない。書きたいネタがないときは昨日の自分に教えてあげるつもりで書けばいい。そう伝えたときの彼のおどろき、首がもげるくらいうんうんと納得していた顔をみるとお役に立ててうれしいという気持ちになった。

そう。これが感情の動いた瞬間。今日はこの話でnoteを書いてみました。

「あなたが昨日、感情を動かされた出来事はなんですか?」

ぜひ記事にして教えてください。読みにいきますから。


最後までお読みいただきありがとうございました。

今後のあなたの気づきや学びになる記事を書いていきますので、スキやコメント、フォローなどで応援いただけると励みになります。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


いいなと思ったら応援しよう!