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じいちゃん、そんな生き方してたの!?

あなたはご先祖さまがどんな人生を送っていたか知っていますか?

とある開運アドバイザーの方から教えられました。

今の自分があるのがご先祖さまのおかげ。
だからいつも感謝すべきと。

それはそうだ。

自分が今生きているのはそれまでに
何人ものご先祖さまが命をつないでくれたから。

調べたら1代前が親の2人で
2代前で両家の祖父母の4人。

3代前で14人、4代前で30人。
10代前で2046人、30代前で20億人を超えるそう。

そんなにも多くのご先祖さまがいることに驚いた。

そして、この中の1人でも欠けていたら
自分は存在していない。

改めてご先祖さまに感謝しないといけないな。
……と同時にふと思った。

「そういえば、じいちゃんって何してた人なのだろう?」

私は父方の祖父についてまったく知らない。
なぜなら物心ついたときには亡くなっていたから。

じいちゃん=遺影の人。

それが当たり前の事実だった。

ご先祖さまがいるから今の自分がいる。
にもかかわらずじいちゃんのことを全く知らない。

これってすごく失礼ではないか。

LINEをすぐに開く。

「父さん、今更なんだけどじいちゃんって何してた人?」

父からの返信に驚いた。

昭和3年(1928年)生まれのじいちゃんは
中学を卒業後、親から事業を引き継ぎ
福岡で豆腐屋を営んでいた。

しかし、父が小学3年のころ
炭鉱閉山で不況になり豆腐屋をたたむことに。

祖母の実家の佐賀に移り住み、
会社員を始める。

……が半年程度で退職し
兵庫県西宮市に行き
甲子園球場の近くで住み込みで新聞配達をしていた。

……が3か月程度で退職し
佐賀に戻り、梅酒造会社に就職。

以降、この会社で働き続けるも
60歳でがんになり現役のまま亡くなる。

1988年5月のことだった。

じいちゃんが亡くなったとき、私は2歳。

3歳で物心がついたとして
当然、じいちゃん=遺影の人になる。

じいちゃん、中卒で実家を継いでいた。

そもそも実家が豆腐屋をやっていたなんて初耳。

会社、半年で辞めるとは
よほどなじめなかったのだろうか?

そのあとなぜ、新聞配達で兵庫まで行ったのだろう?
しかも3か月だけで戻ってきてる。

今の時代は、転職は当たり前だけど
当時は職を転々とするのはめずらしかったはず。

実際、父は新卒で入った会社を定年まで勤めあげたし、
他の親戚も同じ。

父は3兄弟の長男。

3兄弟を育てるために必死だったんだろうな
というのが伝わってくる。

ちなみに私の名前「達也」の「達」は
じいちゃんの名前からもらったもの。

にもかかわらず38歳の今まで
じいちゃんのことを全く知らなかった。

知ろうともしてこなかったことを反省。

じいちゃんと話してみたかったな。

当時、どんな想いで、
どんな体験をしていたのか。

聞いてみたかったし
聞いてみたくなった。

じいちゃん、今までごめんね。

次、実家に帰ったら
父に聞いてみることにするよ。

いつも見守ってくれてありがとう。

あなたもご先祖さまがどんな生き方をしていたか
今から聞いてみてはいかがでしょうか?

きっと多くの気づきがありますから。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

この記事が少しでも
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