フーコー 「自己への配慮」と「自己自身を知る」1

 ミシェル・フーコーは、自己への配慮の方法論としての自己の陶冶を「性の歴史3巻」にまとめている。
 時代をさかのぼってセネカやエピクテトスなどのストア派でも自己の心の動きを書き留めたりといったことが行われてきたが、それは「人が自己規制を保って、結局は、完全な自己享受に到達することができる手段としての、すべての実践とすべての鍛錬を展開することの重要性」(性の歴史 3巻自己への配慮 pp311)であって自己への配慮に基づく自己の陶冶が繰り広げられるが、自己放棄をするためのものではないとしている。
 この「自己への配慮」と「自己放棄」はキリスト教の時代に逆説の関係に入り込み、自己への配慮の概念は弱まってしまった、とフーコーは指摘する。(フーコー講義録「自己と他者の統治」「真理の勇気」出典ページ失念 確認中)
 「自己への配慮」という概念の論理的帰結として、有名なソクラテスの「自己自身を知る」、すなわち自己を知らないということを知らない、いわゆる「無知の知」が出てくるのである。ところが「自己への配慮」という大きな概念は、ニュッサのグレゴリウスの時代に屈折を見せ、グレゴリウスの「処女性について」第13章で「自己への配慮は結婚からの解放から始まる。」としてキリスト教時代に伝わっており、結婚を断念し肉欲から身を切り離し、心身の純潔を保つことで失われていた不死性を獲得できる、としている。エチエンヌ・ジルソンも「アベラールとエロイーズ」(*)において「きみはキリスト教徒か?それでは祈りの妨げになるものから自由でありなさい。だからまず結婚を避けなさい。それは結婚がそれ自身として罪深いものだからではなく、キリスト教徒としての生活を完全に実践するための妨げとなるからである」とセネカと絡めて解説している。
 このように自己を配慮して救済するには自己を放棄し自己へ配慮した実践ができないという逆説に陥ってしまった。そのため、自己への配慮という概念は混乱して消え去り、「自己自身を知る」という概念のみが残ってしまった、とフーコーは「自己への配慮」が注目されてこなかった理由を説明している。(フーコーコレクション5巻 自由の実践としての自己への配慮pp310、自己の技法pp357から再構成)フーコーによると「自己への配慮」が哲学に復活するのはデカルトからでカントの「啓蒙とは何か」で再び哲学の大きな要素となったと考えている(フーコー講義「自己と他者の統治」)。
(*)(オリジナル1938, 1964年、日本版1987年 中村弓子訳みすず書房)
 フーコーはどうやらデカルトの「省察」に「自己への配慮」の復活の鏑矢を見ている。しかしその見取り図は途切れている。次回はそちらを考えてみたい。

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