大学受験についての自分語り【2021年作成】


【2025年追記】これは2021年に講演の案件をいただいた際に作成したものです。2025年の今、ネット上に公開するにあたって補足を要すると考えたことは【追記】としてその都度挿入しました。以下、それ以外はそのときの原文のままです。だから痛い自分語りだけど「ゆるして おねがい」(CUTIE STREET)

【年明けから二次試験までの思い出…小説だと思って読んでください。ただ内容は全て実際にあったことです。】

[共通テストから2月上旬まで]


 もともとは共通テストの形式が得意ではなかったので800点取れれば良い方だという想定だった。対策もそれぐらい取れる程度にやれれば良いと考えていたが、感染症流行の影響で二次試験がなくなる可能性を考えてもとの予定よりも力を入れて対策した。本番の一週間前までは二次試験対策も入れて感覚を鈍らせないようにした。自己採点の結果は833点。上出来だと感じた。
そして翌日。すぐに二次試験対策を再開するため駿台の講習を入れていたので早めに津田沼に行って自習室で勉強しようとしたのだが、勉強が手につかない。共通テストで科目名をマークするのを忘れたのではないか、他にも解答をずらしてマークしていないか、そういう心配が自分の中で膨張してきたのだ。早稲田(法)共通テスト利用の結果が出るまで1ヶ月もこの心配をし続けなければならないのかと思うと絶望した。共通テストの練習をする際には必ずそういう事務的なところもいちいちちゃんとやるようにしていたので、本番も大丈夫だったに決まっているのだが、それでも心配は消えなかった。結局机の上に出した教材には手をつけられないまま時間が過ぎていき、授業の時間が近づいてきたので教室に向かった。「東大英語」という講座なので、教室には東大志望者が集まる。他の高校の人たちが同じ高校の仲間同士で集まって話している。私と同校の人はいなかった。勉強には手がつかないので、私は授業が始まるまで一人で座って彼らの話を盗み聴きしていた。話題はやはり昨日の共通テストのことだった。楽しそうに点数を言い合っている。お前らはマークミスしたかどうか心配にならないのか?なぜ終わったことを終わったこととして自分の中で完結させられるんだ?そう思いながら聴いていると、そのうちの一人が「833点。まあ文系だから」と言った。私の中で激しい劣等感がおこった。私が上出来だと思った833点を、他の人間にはそうそう取れないだろうと思った833点をお前は…!クソ…!×××!!!(受験生にとっては不快な言葉なので字を伏せておく。)
授業もやはり集中できなかったが、とりあえず無駄にしないようにしようと、講師が言ったことで自分に必要そうなことはメモしておいた。そうして私の共通テスト翌日は終わった。
 その次の日からも1週間ぐらいは勉強が手につかなかった。駿台や東進(東大特進)の講習がある日は津田沼や御茶ノ水に行き、ない日は家で勉強しようとしたが、集中できない。マークミスの心配だけではない。思ったよりも共通テストで出し切ってしまったことによってやる気がなくなってしまい、そのことも勉強に向かう気持ちを削いだ。講習のために御茶ノ水に行く途中、錦糸町に寄って映画をみたりもした(ちなみにみたのは「劇場版仮面ライダーゼロワン」。とても良い作品で、娯楽に飢えていた私はずっと泣きながら見ていた。2回もみにいった。)。共通テストから1週間後、東進の東大模試があった。特に問題なくできたが、本気で戦えなかった気がした。出来も完璧とは言えなかった。10日後に結果が出て、判定はBだった。これまでの東大模試ではほぼ全てA判定だったので少しショックではあったが、思ったよりは下がっていなかったため安心する気持ちもあった。
 2月に入ると、だんだん勉強に手がつくようになっていった。マークミスの心配に苛まれることは少なくなかったが、それでも問題を解くという行為に再び向かい合うことができるようになっていった。二次試験型の問題ができなくなっていた、すなわちスランプに陥っていたが、私は自分のスランプがどういう原理で起こっているのか分析して前を向くようにした。二次試験対策から少し離れていたから自信を無くして自ら解けないと思い込んでいるだけなのだと思うことにした。そうだ。私は最強なんだ。少なくとも敗北などありえない。誇りを持たなければ。

[私立の受験]


 2月13日、共通テスト利用の合格発表があった。日本史の赤本を読みながら、少し緊張して10時を待った。10時になると母が自分の部屋にやってきた。私が「ありましたか?」と聞くと、母は頷いた。安心した。ただ、完全に心配が消えたわけではなかった。早稲田(法)の共通テスト利用は国立に必要な900点満点の全科目を利用するわけではなく、1科目科目名をマークしていなくても合格できる点数だったからだ。しかしそれなりの安堵はもたらされた。
 14日と15日はそれぞれ慶応(商)と早稲田(法)の一般選抜だった。時間がもったいない、そして縁起が悪いという理由で私立の対策は全くやらなかった。「滑り止め」ではなく「練習」という意識で、絶対に行くものかという気持ちだった。各科目の配点も知らずに受けに行った。
 14日の慶応(商)で学んだことは、机と前の席がくっついていると、前の受験者が貧乏ゆすりをするせいで机が揺れて酔うことがあるということだった。どの科目も普通の出来だった。帰ってからは本番のための勉強をしようと思ったが、東京と家を往復するだけでも疲れてしまい、その日は休むことにした。興味本位で解答速報を調べて自己採点してみると、なんと英語が半分ぐらいしかあっていなかった。少しショックではあったが、対策をしていないので仕方ないと思った。世界史は普通の出来で、数学は満点だった。(数学はマーク式が多く、記述式であっても答えだけ書く問題しかなかった。つまり、数列などの問題で自分が見つけた法則を証明せずに使える。)
 15日の早稲田(法)はすでに共通テスト利用で合格していたが、私立を受けた目的は試験場の緊張感を体験することだったので受けに行った。学んだことは、自分は昼食をゼリーとチョコレートだけにした方が良いということだった。母が弁当を持たせてくれて、食べないともったいないので食べたところ午後の試験で眠くなってしまった。しかも午後の最初の試験は国語で、最も眠くなってはいけない科目だった。文章が長く、だんだん読む気も失せてきてしまった。結局、途中から記号問題の解答を鉛筆を転がして決めるようになってしまった。
また、私立の受験の一つの楽しみとして世界史でどんな知識が出るのだろうというものがあったが、早慶ともにそこまで自分のイメージしていた私立らしい知識問題は出なかった。帰ったあと、親に「結果が出たら確認しておいていただければと思います、合格していても入学一時金は絶対に払わないでください」と頼んだ。(金がもったいないからというのもあるが、そもそも払うことは縁起が悪いから。)

[最後の戦いへ]


 16日からはひたすらに今までやってきたあらゆる問題を復習し、自分のものにすることを繰り返した。ずっとそうしてきたように自分を励まし、自信を持つように意識した。ずっとそうしてきたように質と量の両方を追求して勉強した。すでに勝利は訪れている。あとはそこに形を与えるだけだ。私は最強だ。大丈夫。必ず勝つ。
 そして本番前日、24日になった。この日はいつも通り勉強するか休むか悩んだが、少し現代文の問題を解いたら具合が悪くなってきたので休むことにした(これは心因的なもので、これまでも勉強を始めると具合が悪くなることが少なくなかった)。昼過ぎに家を出て東京に向かい、渋谷のホテルに泊まった。大量の教材と大量のお守りを持っていった。
 25日、朝食をとったのち、渋谷駅から京王井の頭線で駒場キャンパスに向かった。駒場東大前駅の改札を出て階段を降りると、目の前に東京大学の大きな建物(1号館)が現れた。ここに来るのは2回目で、2019年11月23日の駒場祭ぶりだった。ついにこの場所に戻ってきたのかと思うと泣けてきた。門の前には受験票と体温記入用紙確認の列ができていて、その周りには受験生の親族や塾の関係者がいる。小学6年生のときに読んだ横山三国志で、関羽や張飛の子を見て涙する劉備を諸葛亮が「戦の前の涙は縁起が悪い」と諌めた場面を想起し、私は涙を袖で拭いて列の最後尾に並んだ。余裕を持って会場に到着したつもりだったが、確認を経て大学構内の試験教室に着いたのは集合時間ギリギリだった。集合時間といっても試験開始の40分前で、その時間を過ぎてからも多くの受験者が入ってきた。しばらくは参考書などを見ていても良かったが、私は何も見ずにただ座って心を落ち着かせていた。練習では経験しなかった空気だった。10~15分経つと勉強しているものをしまうよう指示が出され、解答用紙と問題冊子の配布が始まった。(模試や共通テストのときもそうだったが、このときしまえと言われているのにすぐにしまわない人間はなんなのだろうか。参考書から目線を離さず、開いたまま名残り惜しそうに鞄に近づけていき、鞄に入れると同時にようやく閉じる。不正行為ではないのか。)最初の科目は国語だ。配布も完了し、あとは試験の開始を待つのみとなった。今まで試行してきたようにやるだけだと自分に言い聞かせながら数分間の沈黙をやり過ごした。
普通にやって終わらせ、当然のこととして確実に勝利を得るだけだ。
想定は古文と漢文で各25分、現代文第1問で60〜70分、残った時間で現代文第4問。
_始まった。
まずは第3問の古文から。出典は落窪か。定番だな。1周読んでも文章の内容はよく分からなかったが、もう1回読むとよくわかった。文脈に沿って全ての問題の解答を終えた。時間は想定よりもかかってしまったが、第4問の時間を多めに取ってあるので許容範囲内だ。次は漢文。現代語訳の問題でわからない語はあったが、読解は特に問題なくできた。時間もここでのロスはなく、問題なし。次、第1問。ここが勝負だ。まずは漢字の書き取り問題を済ませる。そしてその後はいつもの試行のように各小問と本文の対応をとらえ、問題に対する解答として適切になるように本文をまとめていく。簡単な文章ではないが、そんなことは想定済みだ。ただ時間は想定よりもかかり、古文の超過分と合わせて第4問には30分弱しか残らなかった。しかし第4問の随筆はもともとそこまで得点を期待していないので、焦ることなく本文からポイントになりそうなところを足し合わせて解答欄に詰め込んだ。
(正直、末尾に書かれた出典の著者名を見て一瞬読む気が失せた。夏目漱石だ。高2のとき、学校の授業で「こころ」を読んでつまらないという感想しか思いつかなかった記憶がある。ただ、今回の文章はなかなか面白かった。)
第4問を急いでやり過ぎたからか、最後は逆に5分強時間が余った。この時間は古文・漢文の見直しに使い、試験が終了した。解答用紙の回収が終わり、長い待機時間ののち昼休みとなった。私はエネルギー補給のゼリーを飲み、ブラックサンダーを食べ、自席で数学の予想問題の復習を始めた。どの問題を見てもその問題のポイントが浮かび上がる。もはやわからない問題はなかった。少し外に出ようと思い、トイレに行きそのまま教室の外に出た。他の受験生たちが知り合い同士で集まって話している。共通テストを受けた時も〇〇の制服を着た受験生たちが集まって話していた。【追記:伏せ字に変更。】
この人たちはどこの高校なのだろうか。きっと進学校なのだろう。それとも同じ塾の仲間だろうか。この場にいても少なくとも自分に良い効果はないだろうと思い、教室に戻った。自席に向かう途中、他の受験生たちの勉強しているものが目に入った。なんと地理や世界史、日本史をやっている人がほとんどだった。確かに数学は試験直前にやることがないかもしれないが、だからといって地理歴史をやるのか。この空気の中で数学が余裕だから地理歴史をやる人はごく少数だろう。ならば結論は見えている。数学を捨てているのだ。このとき、私は空気に打ち勝った。
 長い昼休みが終わり、国語と同じように試験の準備が進む。

_始まった。
まずは全ての問題に軽く目を通し、空気感をつかむ。そして第1問から順番に解いていく。第1問の3次関数の問題は問題の条件を数式化して整理したところで一瞬止まったが、すぐに再び動き出して完答した。時間は少し多くかかってしまったが、これぐらいのロスなら他の問題で取り返せるだろう。第2問。場合の数。なんとなく解けそうだったが、時間がかかりそうだったので飛ばして第3問へ。軌跡と領域の問題。東大数学ではおなじみだ。論述に時間はかかりそうだったが、確実に取れる問題のため時間を注ぎ完答した。かなり時間の余裕がなくなってきた。第4問。整数なので、完答は期待していなかった。とりあえず(1)だけ解き、第2問に戻る。ああ思い出した。このタイプの数え上げは私が高2のとき絶望から立ち直り受験勉強を再開して最初にやった数学の問題集にあったものだ。面倒なタイプだ。なぜこんな問題を出してくるのだろう。
_いや、ここでできるのにやらなかったら一生後悔する。やれ。丁寧に説明を記述しながら完答した。第4問に戻る。やはり残り時間でやるのは厳しいだろう。(1)の説明を少し補強し、(2)以降は捨て、他の問題の見直しに使う。
 そして試験時間が終わった。問題ない出来だ。全教室の回収が確認されたのち教室ごとに順番に解散となるのだが、1日目は解散の順番が最後の教室だった。約1時間の長い待機時間ののち解散となり、受験生で混雑する電車に乗り渋谷のホテルに戻った。本番の出来としてはとても良い出来だった。しかしまた心配がおこってきた。数学の解答用紙に科類と受験番号と名前を書いただろうか。書き忘れていないだろうか。いつもそうだ。試験自体の出来に問題がないと事務的なところが心配になる。心配になる自分自身を面倒だと思いながらどうせ大丈夫だと言い聞かせたが、心配は大きくなっていった。最終的には親に話を聞いてもらい、なんとか落ち着かせた。その日、2日目の対策は特にやらなかった。
 2日目になった。余裕を持って会場に行き、学校のプリントを貼ったノートと赤本で世界史の最後の復習を行う。大論述のテーマを一通り確認し、直前でも伸ばしやすいと考えた第2問の小論述の対策に残りの時間を多めに割く。最後に日本史の過去問を軽く確認し、本を見られる時間が終わった。昨日と同じように配布が終わり、試験開始までの沈黙が訪れる。想定は世界史第3問を5分ほどで、その後第2問を30分ほどで終わらせる。そして第1問を45分ほどかけて書き上げ、残り時間で日本史4問をそれぞれ同じぐらいの時間で終わらせる。得点が期待できるのは世界史で、日本史は結局最後まで何をすることが求められているのかわからなかった。自分の知識と問題文から読み取れることをどれぐらいの割合で混ぜたら良いのだろうか。(これを書いている今もまだわからない。)【追記:今もわかりません。】
_始まった。第3問は1つわからないものがあったが、想定内だ。第2問に移り、思いついたポイントを問題冊子にメモしながらひたすらに書いていく。そして第1問だ。なるほど、そういうテーマで来たか。ポイントをメモしながら、書く順番、文章の構成を考えていく。時間が足りないので私は下書きはしない。(時間に余裕があればもちろんした方が良い。)実際に解答用紙に書いていきながら残りの字数でまだ書いていない要素を詰め込む。なかなか書きにくい問題だった。時代の指定はあるが密度のある時代のためどこまで書くか範囲がつかみにくく、字数が足りない。それでもなんとか書き上げ、日本史に移る。日本史は思ったよりも書きやすい問題が多く、順番に終わらせていけた。しかし見直しをする時間はなく、軽く世界史第3問の見直しだけして試験時間が終わった。世界史大論述が思ったよりもできなかったが、日本史は全体的にできた。
回収と待機時間が終わり、昼休みとなった。昨日と同様に軽食をとり、次の英語の対策に移る。具体的には4(A)の文法・文脈問題と第2問の英作文の表現を確認したのち、いつも通りの順番で解くイメージトレーニングをした。あまり詰め込むことはせず、休むようにした。
昼休み、そして配布が終わり、試験開始直前になった。想定は、まず4(B)の和訳を10分弱で終わらせ、2の英作文を20分強で終わらせる。そして1(A)の要約を10分で済ませ、3のリスニングの問題の下見をしながら余裕があれば4(A)の文法・文脈問題をやる。リスニングの時間は基本リスニングのみに集中し、余裕があれば同時に4(A)を進め終わらせられるのが理想。30分間のリスニングが終わった後、後半は1(B)を10分程度で終わらせ、30分ぐらいで5の長文をやって残りの時間で見直す。5は30分もかけるべきではないと思うが、最後のお楽しみ問題としてゆったりやろうという気持ちで多めに取ってある。
_始まった。想定通りに進めていけた。自由英作文は「暮らしやすいまちの条件」というテーマで書きやすく、自分が田舎に住んでいることに感謝した。私の試験教室は「900番講堂」と呼ばれる教室でリスニングが聞こえにくいと言われる会場だったが、特に聞き取りにくいとは感じなかった。完璧な出来で、時間にも余裕をもって終わった。
 回収が終わり、待機時間となった。具合が悪くなることもなく終わって良かった。ついに全ての試験が終わった。出し切った。永遠にも思えた苦行がついに終わった。自分のしてきた努力の軌跡を思い返し、涙が出てきた。

 待機時間が終わり、解散となった。今日は他の教室よりも早く解散となり、駒場東大前駅も比較的混んでいなかった。京王井の頭線で渋谷に、その後〇〇線で〇〇に行き、そこから〇〇で家まで帰った。【追記:伏せ字に変更。】
親にそれぞれの科目の予想得点と多分大丈夫だということを伝え、入浴、夕食を済ませ、少しゲームをして寝た。

[そして…]

(ここからはそこまで入試と関係ありません。)
 次の日は4日前では考えられないような生活を送った。朝起きて「勉強しなければ!」とならずに済むのが精神的にとても大きかった。カレンダーが26日で終わると思って生きていたのだが、ついにその先に到達したのだと感じた。この日は誕生日だったのでいろいろな人に祝っていただき、承認欲求が満たされた。入試の翌日が誕生日であることに運命を感じた。
(一応後期は一橋大学経済学部に出願していたが、そもそも後期の勉強をすること自体縁起が悪いので勉強はしなかった。)
それから数日は遊んで暮らしていたが、合格発表が近づくにつれ緊張してきて遊びたいと思わなくなっていった。(「遊ぶな」という幻聴が聞こえてきて、遊んではいけないと思うようになった。)
3月3日には高校の卒業式があったが、特に感動しなかった。最後のホームルームが終わったあと残って写真を撮る人が多く、その光景は私の中の劣等感を喚び起こした。勉強を頑張る必要のない種類の人間だ。人と関わる能力がある人間だ。どの環境でも適応して楽しくやっていけるのだろう。私は勝負に勝つことか誰かに依存することでしか自己を感じることができない。
【追記:今はこんな風には思っていません。みんな一人ひとり苦しんでいることがあります。このように思ってしまうのは良くないことだと思います。】
私も誰かと写真を撮りたいと思ったが、しかし声をかける勇気はなく、しばらく廊下に立っていた。するとある生徒が「写真撮ってくれない?」と声をかけてくれた。ありがたいと思っていたのだが、すぐにその写真を撮ってほしいという言葉の意味が分かった。その生徒は私に携帯を渡した。もう一人別の生徒が現れ、二人でポーズをとった。私にカメラマンを頼んでいたのである。これが全てを犠牲にした結果か。私が欲しかったものはそこまでして手に入れたいものだったのか?いや、私にはそうするしかなかったのだ。高校生活を勉強に捧げなかったとしても、私のような人間に青春を謳歌することはできなかっただろう。そういう風に心の中で自分を正当化して納得させながら、私は写真を撮ってその生徒に携帯を渡した。泣きたい気持ちだった。でもこれが私の行動の結果だ。これ以上立っていても意味がないだろうと思い、私は学校を出ることにした。学校から禁止されてはいたが、打ち上げをする人たちもそれなりにいるのだろう。私も真似してみるかと思い、一人で駅前のカラオケに行った。カラオケも1年以上行っていなかった。一人だとたくさん歌えて良いが、連続で歌っているとだんだん気持ち悪くなってくる。少し休憩していると、駿台から電話がかかってきた。内容は、来年度浪人する場合に特待生制度の対象になるというものだった。なんという嫌な内容の電話だろう。仕事なので仕方ないのだろうが、相手はどういう気持ちで私に話しているのだろう。電話を終えると、その嫌な気持ちを吹き飛ばすように私は再び歌い始めた。時間が終わり、退店して駅に向かっていると、帰りにある部活の人たちに会った。彼らは焼肉屋に行ったそうだ。やはり打ち上げをしている人たちはいた。

それから数日は何もせずにただ寝て過ごした。大切な日が近づいてくる。

3月10日になった。7時30分ぐらいに起きた。合格発表は12時。あと4時間半も待たなければならないのか。眠気が覚めるまで30分ほど布団でボーっとしたあと居間に行って朝食を食べ、ソファーに座って再びボーッとし始めた。緊張が高まってきて携帯をいじる心の余裕もない。テレビがついていたが内容は全く入ってこない。もう一度眠ることによって時間を稼ごうと思った。緊張はしていたが、なぜか30分ぐらいで眠ることができた。起きると1時間ほど時間が経っていた。あと2時間もある。自分の部屋に戻っていつも勉強していた椅子に座ることにした。今までも心が不安定になったときにそうしてきたように、私は詩を書き始めた。書くことに集中していると時間がはやく過ぎていき、キリが良くなったところで時計を見てみると11時過ぎだった。ここからは頭に浮かんだことをそのまま書くことにした。合格発表直前の精神状態を書いたものは記念になるだろうと思った。
そして12時の音楽が聞こえた。この家で10年以上生活していて_家で勉強しているときも_何度も聞いた音楽だ。居間に置いてあった携帯を取りに行き、自分の部屋に戻ってきた。アクセスが集中して大学のサイトに入れないかもしれないと思ったが、それについては問題なかった。合格発表のページにアクセスした。たくさんの受験番号が並んでいる。ページをズームして最初から順番に番号を見ていく。(受験番号は氏名の五十音順で、私の番号は最初の方だった。) 番号がかなり飛んでいる。自分の中で拍動が大きくなっていく。

_あった。良かった。嬉しさよりも安心感の方が強かった。これが私の行動の結果だ。これが命をかけた結果だ。比喩ではなく、命をかけた結果だ。
涙が出てきた。合格していると確信していても泣けてくるものなのだなと思った。居間にいる母にありましたと伝えるとすごいと言われた。母に促され他の親族にも電話した。皆とても喜んでいた。私は全て自分自身のために勉強して合格したのでそのときは喜ぶ気持ちがよくわからなかったが、喜んでくれてなんとなく良い気持ちだった。その後はしばらくして合格通知書が届き、その日のうちに入学手続きを済ませた。
(ただ1週間ぐらいすると長く付き合ってきた孤独感がまた蘇ってきて、心が不安定になってきてしまった。私はまたTwitterの裏アカで負の感情を吐露するようになった。きっとこの問題は解なしなのだろう。いくら傾向をつかんで対策をしてもうまく対処できるようにならない。)
【追記:今では感情や欲を無視・麻痺させ、機械のように生きることの実行が少しは可能になりました。】

[おわりに]


この文章は入試での成功について書いているので、これだけ読めば筆者である私のことを「目標を達成した立派な人間」だと思うかもしれない。しかし、それ以外の側面も考慮すれば、実際には私は相当に不出来な人間である。__精神が軟弱で甘い。すぐに他者に劣等感を抱き嫉妬する。人間不信であるにもかかわらずすぐに他者に依存してしまう。情緒は安定しない。
【追記:今では感情や欲を無視・麻痺させ(以下略)そもそもあらゆる面で恵まれている自分が孤独だとかしんどいだとか言うのはゆるされないことです。】
__私は生きるのが下手な人間であり、受験勉強をちゃんとやれたのはその裏返しであるということを(読者を騙してしまうかたちになることを防ぐために)記しておく。

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