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【小説】DXの架け橋スピンオフーAIが下す判断、人が選ぶ未来(人事部 高瀬奈緒の場合)
第1幕:「合理的な判断」
人事部オフィスの空気は静まり返っていた。
高瀬 奈緒の目の前に並ぶのは、冷たいデジタルの文字列だった。
《解雇対象社員リスト》
佐藤 圭一(営業部・50歳)
田中 翔(開発部・25歳)
藤尾 奈々(総務部・35歳)
彼女はモニターを睨みつけ、無意識に机を指でトントンと叩く。そのリズムが、彼女の苛立ちを物語っていた。
「……本当に、このリストが“正解”なんですか?」
無機質なスピーカーから、規則正しい声が響く。
AIリン:「業績評価、適性スコア、コスト最適化の観点から、3名の解雇が最適解です。」
「最適解……?」
奈緒は呟き、苦笑する。だが、喉の奥に引っかかる違和感は拭えない。
「田中さんは最近、大型案件に入ったばかりです。経験が足りないから、まだ成果が出ていないだけでは?」
AIリン:「統計的に、類似ケースで業績改善の確率は低いと算出されています。」
「藤尾さんは一時的に体調を崩していただけ。復帰すれば元の働きを取り戻せるはず。」
AIリン:「復帰後の業績改善確率は7%です。」
「……佐藤さんは?」
AIリン:「デジタル適応度が低く、DX推進の阻害要因となる可能性があります。」
奈緒は無意識に拳を握りしめた。AIの判断には、一切の迷いがない。だが、その「迷いのなさ」こそが、彼女の心をざわつかせる。
「——それが、本当に“正しい”んでしょうか。」
「正しいかどうかは、もう決まっている。」
背後から、低く落ち着いた声が響いた。
振り向くと、腕を組んだ坂本部長が、鋭い視線を奈緒に向けていた。
「高瀬、これが経営判断だ。人事は感情で動くものじゃない。」
「……坂本部長。」
「リンのデータ分析には、個人的な感情や希望的観測は一切含まれていない。だからこそ、冷静に判断できる。」
「でも——」
「私もかつて、感情で判断したことがある。 だが、そのせいで、数十人のリストラを決断する羽目になった。」
坂本の目が、一瞬だけ遠くを見た。
「人の可能性を信じることは、美しい考えだ。だが、経営においては時に残酷だ。」
「それでも——」
奈緒は言葉を探す。だが、その時、不意に肩を軽く叩かれた。
「ほら、部長がそう言っても、結局私たちが何とかするのが人事の仕事でしょ?」
振り向くと、藤井千夏がいた。手にはコーヒーカップを持ち、口元には余裕の笑み。
「奈緒ちゃん、納得いかないなら、自分で確かめてみたら?」
「……確かめる?」
「うん。AIのデータが"正しい"のかどうか、社員本人に聞いてみればいいのよ。」
奈緒はハッとした。
「……そうですね。私、話を聞いてみます。」
坂本は静かに目を細めると、深いため息をついた。
「……好きにしろ。ただし、結果が出なかったら、情に流されるな。」
奈緒は深く頷いた。
《AIの合理性》と《人の可能性》——その答えを見つけるために。
第2幕:社員たちとの対話
翌日、奈緒は解雇対象となった社員たちの面談を設定した。
会議室はひんやりとしていた。淡い蛍光灯の光がデスクの木目を際立たせ、窓の外には朝焼けが広がっていた。
佐藤 圭一(営業部・50歳)との対話
佐藤がゆっくりと椅子に腰掛ける。スーツの襟を直し、視線を天井に向けた後、深く息を吐いた。
「この歳になって、こんな話をされるとはな。」
坂本人事部長が書類を開き、無機質な口調で言った。「DX推進の適応度を考慮した結果です。」
佐藤は短く笑った。「データで俺の価値を決めるのか?」
奈緒は視線を落とし、指でペンを転がした。「データだけでは測れないものがあると思います。」
「なら、俺の経験値をどう評価するんだ?」佐藤は腕を組み、坂本を見据えた。
田中 翔(開発部・25歳)との対話
田中は小刻みに足を動かし、目線を何度も逸らした。千夏が柔らかく笑いかける。
「大丈夫。話すだけだから。」
「はい……。」
奈緒は軽く息を吸い、「具体的にどんなことを頑張ってる?」
田中は指を握りしめ、「今、最新技術の勉強をしていて……でも、まだ成果が出せてなくて。」
千夏が頷く。「成長の見込みはあると思う?」
田中は拳を握りしめた。「あります! 次のプロジェクトで証明したいんです!」
藤尾 奈々(総務部・35歳)との対話
藤尾は静かに目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。坂本がメモを見つめ、ペンを指で回していた。
「藤尾さん、復帰後の業務についてどう考えていますか?」
藤尾は口を引き結んだ後、小さく微笑んだ。「今まで通り、精一杯働きます。」
「負担はどうですか?」奈緒が静かに問いかける。
「正直、大変です。でも、適応できるよう努力します。」
坂本が腕を組み、ゆっくりと頷いた。「業務調整の余地はあるかもしれないな。」
奈緒は藤尾の目を見つめ、新たな考えが芽生え始めた。
第3幕:AIリンとの対話と模索
奈緒は会議室の椅子に深く腰掛け、AIリンのモニターを睨んでいた。部屋には彼女の短く鋭い呼吸音と、機械が発する微かな電子音だけが響いている。
「リン、もう一度確認します。佐藤さん、田中さん、藤尾さんの解雇判断は、絶対に覆せないものなの?」
AIリン:「データに基づく最適解です。適性スコアおよびパフォーマンス低下の要因を総合的に考慮した結果です。」
奈緒は両手を組み、軽く額に押し当てた。「でも、あなたのデータには彼らの成長の可能性が反映されていない。」
AIリン:「可能性は不確定要素です。統計的に成長が見込める確率は低く、経営合理性を考慮すれば……」
「それでも、ゼロじゃないでしょう?」奈緒の声は鋭くなった。
その瞬間、背後で静かにドアが開いた。坂本が腕を組んで立っている。「高瀬、冷静になれ。」
「私は冷静です。」奈緒はモニターから目を逸らさずに答えた。「私は、人事の仕事はデータだけで決まるものじゃないと思っています。」
坂本は短く息を吐き、椅子に腰掛けた。「なら、何が決め手になるんだ?」
奈緒はしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。「……彼らがこの会社で果たす役割と、未来の可能性です。」
AIリン:「未来の可能性は、計測不能な変数です。」
奈緒は首を横に振る。「だからこそ、それを評価するのはAIではなく、人間の仕事なんです。」
坂本は腕を組み、しばらく奈緒を見つめていた。部屋に沈黙が落ちる。モニターに映る無機質なグラフだけが、確かな答えを提示するように存在していた。モニターには、AIリンの分析結果が整然と並んでいた。「最適解」「業績評価スコア」「DX適応率」——無機質な言葉が、冷たい青白い光に照らされている。
奈緒は歯を食いしばった。
この中に、佐藤の営業力や田中の成長の兆しがどこにあるというのか?
彼女は思わず、ディスプレイを指先で叩いた。
「……ねえ、リン。」
AIリン:「どうぞ。」
「あなたの判断に、“揺らぎ”はないの?」
沈黙。
モニターが一瞬だけ微かに点滅した。
奈緒は息を止める。だが、次に返ってきたのは変わらぬ機械的な音声だった。
AIリン:「統計的な変動は考慮済みです。最適解に揺らぎはありません。」
奈緒は目を伏せた。
(迷わない。だからこそ、怖い。)
人間は迷う。迷いながら、それでも誰かの未来を信じて決めていく。
AIには、それがない——ただ、データを弾き出すだけ。
奈緒はゆっくりと息を吐き、震える指先でモニターを閉じた。
奈緒は静かに深呼吸し、再び言葉を紡いだ。
「それでもAIは道具であって、判断するのは私たちです。私は彼らの可能性を信じたい。」
坂本は少し目を細めた。そして、ゆっくりと立ち上がる。
「……なら、証明してみろ。君の判断が、経営にとって最適な選択だったと。」
奈緒は強く頷いた。「必ず。」
千夏のアドバイス
奈緒はデスクに戻ったものの、考えが煮詰まっていた。「証明しろ」と言われたものの、何をどう証明すればいいのか——。
モニターにはAIリンの解析結果が並び、データの根拠が論理的に示されている。だが、奈緒の胸には違和感が残ったままだ。
「証明って、どうすればいいの……?」
ため息をついたその時、横から千夏の声がした。
「奈緒ちゃん、また難しい顔してるね。」
振り向くと、千夏がコーヒーカップを片手に微笑んでいた。
「……千夏さん。」
「坂本部長に何か言われたんでしょ?」
奈緒は苦笑した。「……“証明してみろ”って言われました。でも、どうすればいいのかわからなくて。」
千夏は肩をすくめた。「そんなの、現場に行って自分の目で確かめるしかないでしょ。」
「……現場?」
「データがどうこう言っても、実際の仕事ぶりを見なきゃ意味ないでしょ? 佐藤さん、田中くん、藤尾さん——彼らが本当に“解雇すべき人”なのか、直接確かめた?」
奈緒は言葉を失った。
「……まだです。」
「だったら、営業部や開発部、総務部に行って、みんなの評価を聞いてみたら?」
奈緒は千夏の言葉を噛みしめるように考えた。確かに、AIリンのデータは理論上は正しいかもしれない。でも、それが実際の現場と一致しているとは限らない。
「……わかりました。やってみます。」
千夏は満足そうに頷いた。「よし、それでこそ奈緒ちゃん。……あ、そうだ。悠斗にも話を聞いてみる?」
「悠斗さん?」
「うん。今、バンコク支社でDX推進のプロジェクトやってるでしょ? あの人、データ分析と実際の現場のギャップに詳しいからさ。」
「でも、悠斗さんは海外に……」
「オンラインでつなげるように手配するよ。ちょうど今日、会議があったから、ついでに時間作ってもらえるかも。」
奈緒は一瞬戸惑ったが、すぐに頷いた。「お願いします!」
悠斗とのオンライン相談
その日の夕方、奈緒は藤井千夏の手配で悠斗とオンライン会議をつなげた。
画面越しに映る悠斗は、バンコクのオフィスから参加していた。背後にはガラス張りの窓があり、夕日が都会の高層ビル群を染めている。
「久しぶり、奈緒ちゃん。」悠斗が軽く手を挙げた。
「お久しぶりです! お忙しいところすみません。」
「いや、藤井から聞いたよ。解雇判断について悩んでるんだって?」
奈緒は頷いた。「はい。AIリンの分析では、佐藤さん、田中くん、藤尾さんが解雇対象になっています。でも、それが本当に正しいのか、どう証明すればいいのかわからなくて……。」
悠斗は腕を組み、少し考え込んだ。「データだけではわからないことって、意外と多いからな。」
「どういうことですか?」
「例えば、業績の低下が“本人の問題”なのか、“環境の問題”なのか。データは結果を示すけど、原因までは特定できない。」
奈緒の目が見開いた。
「だからこそ、実際に現場の声を聞くことが大事なんだよ。数字に現れない部分を見極めるために。」
「……なるほど。」
悠斗は微笑んだ。「まずは、現場を見てみることだね。」
奈緒は深く頷いた。「ありがとうございます。行ってきます!」
第4幕:現場の声
営業部の現場
営業部のフロアは活気に満ちていた。電話のコール音が鳴り響き、打ち合わせをする社員たちの声が交差している。その中で、佐藤圭一は落ち着いた様子でクライアントとの交渉資料を広げ、若手社員に説明をしていた。
「佐藤さん、ちょっとこれ見てもらえますか?」
若手社員が遠慮がちに声をかける。佐藤は微笑みながら資料を受け取り、指でページをめくった。
「ここ、もう少し柔らかい表現にしたほうがいいな。クライアントは慎重なタイプだから、少し遠回しに提案したほうがいい。」
若手社員は頷きながらメモを取る。「なるほど、勉強になります!」
奈緒はそのやりとりを遠巻きに見つめた。AIは佐藤を「デジタル適応度が低い」と判断したが、営業部では欠かせない存在になっているようだった。
「佐藤は、うちの潤滑油みたいな存在なんだよな。」
営業部長が奈緒に向かってつぶやく。
「DX化が進んでも、クライアントとの信頼関係は人間の力で築くものだ。佐藤がいるだけで、チーム全体の交渉力が違うんだよ。」
奈緒の中で、AIの判断に対する疑問がますます膨らんでいった。
開発部の現場
開発部のフロアは静寂に包まれていた。キーボードを叩く音だけが響く中、田中翔は真剣な表情でモニターを見つめていた。
「田中くん、新規プロジェクトの提案、考えてみた?」
隣の先輩社員が声をかける。田中は一瞬ためらった後、画面を切り替え、試作コードを表示させた。
「まだ試作段階ですが、いくつか実装してみました。」
先輩は画面を覗き込み、驚いたように目を見開く。「おお、いいじゃないか。これ、技術的に面白いアプローチだな。」
「本当ですか? もっと調整が必要かと思ってました。」
「もちろん、改善点はある。でも、考え方は間違ってないよ。」
奈緒は田中の肩越しにモニターを覗き込んだ。AIは「業績低迷」と判断したが、彼の成長意欲は明らかだった。
「田中くん、考えすぎるなよ。」先輩は軽く肩を叩いた。「失敗を恐れず、どんどん試してみろ。」
田中の表情が少し緩んだ。その変化を見て、奈緒の心はさらに揺らいだ。
総務部の現場
総務部のフロアには、コピー機の作動音と電話の応対が響いていた。藤尾奈々はデスクで書類を整理しながら、隣の同僚と話していた。
「この申請書、確認お願いできますか?」
「はい、大丈夫ですよ。」藤尾は素早く目を通し、赤ペンでいくつか修正を入れた。「ここ、もう少し明確に書いたほうがいいですね。」
「助かる! ありがとう。」
奈緒は驚いた。彼女の動きは流れるように滑らかで、無駄がない。
「藤尾さんが戻ってきて、本当に助かってるよね。」
「うん、仕事が早いし、全体を見てるし。」
奈緒の胸に、また一つ疑問が生まれた。AIの判断では「業績低下」だが、実際の現場では欠かせない存在ではないか?
奈緒はゆっくりと息を吐いた。この三人の解雇は、本当に会社にとって正しい決断なのだろうか——。
第5幕:奈緒の決断
奈緒の葛藤
総務部のフロアに、軽やかなキーボードの音が響く。
藤尾奈々は、デスクに並んだ書類を手際よく整理しながら、同僚と静かに言葉を交わしていた。
「藤尾さん、ここのフォーマット、もう少し修正したほうがいいですか?」
「そうですね……ここの数字を統一したほうが分かりやすいかもしれません。」
藤尾の指先がすらりと紙面をなぞる。柔らかい声に安心したのか、後輩は頷き、笑顔を見せた。
奈緒はその様子を、少し離れた場所から眺めていた。
(これが……解雇しなければならない人?)
藤尾の動作には、迷いがなかった。だが、その目の奥には、どこか疲れの色が見える。復帰したばかりの身体が、まだ完全に回復していないことを示していた。
彼女のデスクの端には、薬袋が置かれている。
(本当に、この決断でいいの……?)
奈緒は唇を噛みしめた。
千夏との対話
「……藤尾さんを解雇するしかないのかもしれません。」
奈緒の言葉は、苦しげに絞り出された。
オフィスの片隅、コーヒーメーカーの前で、千夏が静かに彼女を見つめていた。
「そっか。」
千夏は、ゆっくりとコーヒーをかき混ぜながら言った。
「それが、一番納得できる答え?」
奈緒は俯いたまま、言葉を探していた。
「……わかりません。でも、佐藤さんや田中くんよりも、藤尾さんのほうが……負担が大きいのは確かです。」
千夏は静かに頷いた。「奈緒ちゃん、決めたことに迷うのは当然だよ。でも、人事は“迷いながらでも決める”仕事なんだよね。」
奈緒は顔を上げた。「迷ったままでも、いいんですか?」
千夏は微笑んだ。「迷ったっていい。でも、その上で、どうすれば一番いい結果になるかを考えるのが、私たちの仕事でしょ?」
「……そうですね。」
奈緒は深く息を吸った。
「決断します。」
会議室での報告
会議室の空気は重く、静かだった。モニターには奈緒がまとめたレポートが映し出され、坂本が腕を組んでそれを見つめている。
千夏も同席し、静かに奈緒を見守っていた。
「結論を聞かせてもらおう。」
坂本の低い声が部屋に響く。
奈緒は深く息を吸い、静かに口を開いた。「私は、佐藤さんと田中さんの解雇は再考すべきだと考えます。」
坂本は眉をひそめる。「理由は?」
奈緒はレポートのページをめくりながら説明を始めた。「佐藤さんは、DX適応度のスコアが低いと評価されていますが、彼の営業力は顧客との信頼関係を築く上で不可欠です。若手の指導役としても重要な役割を果たしており、現場の声を聞く限り、彼の存在は部署にとって大きな支えになっています。」
坂本は静かに聞き入る。
「田中さんは、業績が安定しないという評価を受けていますが、それはまだ成長途中だからです。彼は最新技術の習得に熱心で、先輩社員からの評価も高い。短期的には成果が見えにくいですが、長期的には会社にとって有益な人材になり得ます。」
坂本は腕を組んだまま、モニターをじっと見つめた。「……では、藤尾さんについては?」
奈緒は喉を鳴らした。「……藤尾さんの状況は、厳しい判断をせざるを得ませんでした。」
一瞬、会議室に静寂が落ちる。
「彼女は復帰後の業務には真剣に取り組んでいますが、体調が完全に回復していないことが、業務遂行能力に影響を与えているのは確かです。また、同僚からのサポートを受けながら業務を進めていますが、それが長期的に持続可能であるかは未知数です。」
坂本がゆっくりと頷く。「つまり、会社の全体最適を考えたとき、彼女の解雇は避けられないと?」
奈緒は視線をレポートに落とし、藤尾の業績データを指でなぞった。
その指先は、無意識に震えていた。
(彼女の仕事ぶりを見た。努力も感じた。でも——)
心臓が締め付けられるような痛みを感じながら、奈緒はペンを握りしめた。
「——決断します。」
声がかすれた。言葉にした途端、指先が冷たくなる。
坂本がじっと彼女を見ていた。
奈緒は拳を握り、まるでその痛みが自分の選択の代償であるかのように、手のひらに爪を立てた。
「藤尾さんの解雇は……避けられません。ただ、もし可能なら、再就職支援や社内の別ポジションの提案を行うことも考慮すべきだと思います。」
坂本はしばらく沈黙し、AIリンのモニターに目を向けた。「AIリン、お前の判断と比較して、どう見る?」
AIリン:「当初のデータ分析と異なりますが、現場の状況を考慮した場合、再評価は妥当な判断と考えられます。」
坂本は深く息を吐き、椅子に寄りかかった。「……そうか。」
奈緒は緊張しながら、坂本の次の言葉を待った。
「よく考えたな。今回の判断、私が責任を取る。藤尾さんの件については、適切なフォローをする。」
奈緒の胸に、安堵とともに重い責任がのしかかる。
千夏は横で頷き、奈緒の肩を軽く叩いた。
「お疲れさま。」
奈緒は静かに微笑んだ。
オフィスの窓の外では、淡い陽光がビルの間に差し込んでいた。奈緒はその光を見つめながら、自分の決断を胸に刻んだ。
第6幕:決断の代償と学び
奈緒がデスクで資料を整理していると、オフィスの奥から騒然とした声が聞こえてきた。
「藤尾さん、大丈夫ですか?」
驚いて振り向くと、会議室から出てきた藤尾奈々が、顔を青ざめながらよろめき、机に手をついて立っていた。彼女の呼吸は荒く、冷や汗がこめかみを伝っている。
「落ち着いて、すぐに医務室へ——」
同僚が肩を支えようとした瞬間、藤尾は足元をふらつかせ、そのまま崩れ落ちそうになった。
「誰か担架を!」
坂本が指示を飛ばし、数人の社員が駆け寄る。担架が運び込まれ、藤尾はゆっくりとそこに横たえられた。
奈緒は息をのんだ。
(こんなはずじゃなかった……)
担架が廊下へ運ばれていく。藤尾の顔がこちらを向く。その目が奈緒を捉えた。
奈緒の背筋が凍りついた。
藤尾は奈緒を 睨みつけていた。
「——あなたのせいよ。」
声にならない叫びが、奈緒の胸を抉る。彼女はそのまま、担架が遠ざかるのを見つめ続けることしかできなかった。
奈緒はデスクに戻ったものの、ペンを握る手が震えていた。
「私のせい……?」
自問するたびに、藤尾の表情が脳裏に焼き付いた。涙が滲みそうになり、必死に瞬きを繰り返す。
(私は、人を切り捨てる仕事をしてしまったのか——?)
書類に視線を落としても、文字は滲んで読めなかった。
そのとき、ふと視界に影が差し込んだ。
「よう。」
佐藤圭一が静かに声をかけてきた。先日の面談時より、少し柔らかい表情をしている。
「俺、まだここで働けるんだな。」
「……佐藤さん。」
「正直、解雇の話が出たときは覚悟したよ。でも、こうして仕事を続けられることになって……ありがとうな。DXってやつも、あらためて考えてみる。」
奈緒の喉が詰まった。そんな言葉を、自分がもらえるとは思っていなかった。
「僕もです!」
今度は田中翔が駆け寄ってきた。彼の目は輝いている。
「僕、高瀬さんが信じてくれた分、もっと頑張ります! 絶対に成果を出してみせます!」
奈緒は僅かに笑みを浮かべた。
(……私の決断が、誰かを救ったのも事実なんだ。)
でも、それでも、藤尾の睨みつける視線は、脳裏から消えない。
「奈緒ちゃん、つらいでしょ?」
コーヒーメーカーの前で、千夏がそっと声をかけた。奈緒はぼんやりとコップの中のコーヒーを見つめたまま、小さく頷いた。
「……人事って、こんな仕事なんですね。」
千夏は微笑む。「まあね。でも、私たちがするのは、人を切ることじゃないのよ。」
奈緒が顔を上げる。
「私たちは、その決断が必要なときに、最も正しい選択をするだけ。それが、誰かを救うことにも、誰かを傷つけることにもなる。でも——」
千夏は奈緒の肩を軽く叩いた。
「奈緒ちゃんは、もう逃げないでしょ?」
奈緒は目を伏せ、そして静かに頷いた。「……はい。」
「だったら、この経験を忘れずに、次に進めばいい。」
千夏の言葉は、温かくも重かった。
奈緒はコーヒーを一口飲み、ゆっくりと息を吐いた。
(私は——これからも、この仕事を続けていく。)
オフィスの窓の外には、いつの間にか夕陽が差し込み始めていた。
エピローグ:新たな道へ
奈緒は、カフェの窓際の席に座っていた。目の前には、明るく微笑む同期であり親友の佐藤莉奈がいる。
「ねえ奈緒、DXってさ、もっと人事にも活用できると思わない?」
莉奈はカフェラテのスプーンをくるくる回しながら言った。
「人事にDXを?」
「そう。今って、AIが評価やデータ分析をしてるけど、もし“人の成長”を見極めるように使えたらどうかな?」
奈緒はカップを持ち上げ、少し考え込む。
「……人を選別するんじゃなくて、可能性を広げるためのDXか……。」
莉奈がにっこりと笑う。「そうそう! 人事がもっとデータを活用して、適材適所を見極められたら、藤尾さんみたいなケースも違う形でサポートできたかもよ?」
奈緒は、そっと視線を落とした。
(藤尾さん……今、どうしているんだろう。)
そんな奈緒の横顔を、何かを思いついたように莉奈が見つめていた。
悠斗からの連絡
「奈緒ちゃん、落ち込んでるって聞いたよ。」
その夜、千夏と莉奈が手配してくれたオンライン会議の画面には、バンコク支社から悠斗が映っていた。
「千夏さん……。」奈緒は横目で千夏を見る。
「いやあ、奈緒ちゃんが元気ないと気になっちゃうじゃん?」千夏は肩をすくめる。
悠斗が少し笑い、「奈緒ちゃん、藤尾さんのことだけど——」と切り出した。
「リモートワーク支援プロジェクトの契約社員として、うちの子会社で働くことになったよ。」
奈緒は驚き、思わず前のめりになった。
「本当ですか?」
「うん。彼女、朝方の勤務が負担になってたんだろ? だからリモートで働ける環境を用意した。本人も納得してるよ。」
藤尾との再会(オンライン)
「高瀬さん。」
画面越しに映る藤尾の顔は、以前よりもどこか穏やかだった。
「……私、大丈夫です。新しい仕事、思った以上に自分に合ってるかもしれません。」
奈緒は胸がじんと熱くなった。
「……よかった。本当によかった……。」
藤尾は微笑む。「最初は不安でした。でも、今のほうが自分に合っているって感じます。」
悠斗が補足する。「藤尾さんの業務適性を見たら、リモートワーク向きだったんだよね。だから、このプロジェクトに入ってもらった。」
「悠斗先輩……ありがとうございます。」
悠斗は軽く手を振る。「礼なら藤井と莉奈にも言ってやれよ。奈緒ちゃんのこと、すごく気にしてたんだから。」
奈緒は、千夏と莉奈を見る。二人は微笑みながら、ゆっくり頷いた。
「藤尾さんの未来が、少しでもいい方向に進むなら、それでいいじゃん?」
千夏の言葉に、奈緒の心が軽くなるのを感じた。
奈緒の決意
奈緒は、会社の窓から外を見つめていた。
(人事の仕事って、終わりを決めることじゃない。新しい道を作ることなんだ。)
悠斗の言葉、藤尾の表情、莉奈のDXへの考え——そのすべてが、奈緒の中で一つの答えを導き出していた。
奈緒は深く息を吸い、千夏に向き直った。
「千夏さん、私……DXを活用して、人の成長を支援する人事を考えてみたいんです。」
千夏は驚いたように目を丸くした後、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「うん、いいじゃん。奈緒ちゃんらしいよ。」
夕陽がビル群の隙間に落ちていく。
(人事は「選ぶ」だけじゃない。「育てる」こともできるはず。)
彼女はゆっくりとスマホを取り出し、莉奈とのメッセージ画面を開いた。その様子を千夏が微笑んで見守っている。
”奈緒:「DXを活かした人材育成システム、一緒に考えない?」”
送信ボタンを押した瞬間、心の中に小さな光が差し込んだ。
莉奈からの返信は、すぐに来た。
”莉奈:「もちろん!やるなら本気でいこう!」”
奈緒は微笑み、そっとスマホを閉じた。
(私はこれからも、この仕事を続けていく——DXと、人の可能性をつなぐために。)
あとがき:AIと人事の未来を考える物語
この掌編小説は、現代のDX(デジタルトランスフォーメーション)がもたらす変化と、人事の現場における意思決定の難しさをテーマにしています。
AIが合理的に最適解を導き出せる時代において、人間はどこまでその判断に委ねるべきなのか?
それとも、AIの合理性を補完する形で「人間ならではの価値」を見出していくべきなのか?
奈緒の葛藤を通じて、読者の皆様にもこの問いを投げかけたいと思いました。
また、この作品の執筆には ChatGPT を活用しました。
プロットの整理や、キャラクターの対話のリアリティを検討する際に、AIとの対話が新たなアイデアを生むきっかけとなりました。
AIは単なる執筆の補助ではなく、クリエイターが新しい視点を得るための「共創パートナー」になり得ると感じています。
この作品自体が「AIと人間が協力して創り出す未来」への小さな実験であり、可能性への挑戦です。
「人事」という仕事は、時に残酷な決断を下す場面もありますが、決して「人を切る」ためのものではなく、「人の可能性を活かす」ためのものであると信じています。
DXと人事の融合が、より多くの人の可能性を広げる未来につながることを願いながら——。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。