【推し本】掃除婦のための手引書/母親になっても後悔せずにロックンロールに生きるわよ、的。
ルシア・ベルリン著「掃除婦のための手引き書」。
書店でその表紙が気になっていたが、雰囲気を出すためのどこかのモデル写真と思っていて、しかも掃除婦?手引書?と何度かスルーしていた。聞いたことない作家だし。
何度目かにようやく手に取って、カバー表紙をめくったところにあるルシア・ベルリンの略歴を見た瞬間、まず軽くノックアウトされる。
なんだ、この一人の人生の略歴として濃密すぎる情報量は。
そしてパラパラめくると、ルシア・ベルリンの写真が出てくる。(この写真は続編の「すべての月、すべての年」の表紙にも使われることになる。)
あれ?これ表紙の人じゃないか。表紙はどこかのモデルでもなんでもなく本人なのか!
3回の離婚・4人の息子・アル中情報と、生活臭のないこの女優のような写真がまるでかみ合わない。これはもう読むしかない。
初っ端の短編から何せかっこいい。
「エンジェル・コインランドリー店」では、多くの説明がなくても、暑く乾いて砂埃舞うニューメキシコの場末の、むーっとするコインランドリー店で、無機質な洗濯機や乾燥機がゴトゴトカラカラ回り、禁酒の誓いが書かれた張り紙がひたひた揺れ、その町で生活している人たちの貧しさや哀しさも一緒くたに洗濯機に放り込んでいるような様が髣髴とする。
そんなドラマティックでもなんでもない舞台で、こちらもアル中のインディアンじいさんが濁った目で手を震わせながら絡んでくるだけの話だが、一瞬、ほんの一瞬だけ、このじいさんと急接近するところでは何ともいえないエロティシズムを感じさせ、その一瞬の後にはスパッと終わる。
タイトルにもなっている「掃除婦のための手引書」では、主人公は死んだ恋人を思いながら、バスで雇人の家に向かい、掃除婦として働き、高価なものには手を付けず、睡眠薬だけちょっとずつ拝借していく。いつか使う時が来るかもしれないから。
そんな恋人ターの描写はこれだ。
どう?こんな表現思いつく?という力強さ。
自身の体験を元に書き綴った短編だが、単なる自叙伝ではなく、三人称や別の名前で主人公をたて、ショートストーリーとして完成度が高い。
そこから立ちのぼるロックンロールな人生。アラスカ、チリ、ニューメキシコなど地球をタテに行き来し、幼少期は祖父や母に虐待され、三回の結婚と離婚、4人の息子をシングルマザーとして教師や掃除婦や緊急救命室勤めをして育て、立派なアル中。3度目の夫はヤク中。
それでも、湿っぽい惨めさや恨み言やずるずる引きずる恋愛関係はなく、あるがままを受け入れ、今この瞬間を生きるだけ、という潔さがかっこよすぎる。
これだけの経験してきてこの女優顔!?と表紙の写真を二度見三度見することになる。
ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」にも通じる、後先考えないぶっ飛び加減が小気味良く、それでいて、無責任な自由奔放さということでもない。さすが4人のおかん、というか、来るもの拒まずで全てを包みこむおおらかさがあり、幸せな話などほとんどないのに、何だかわからないが読むとエネルギーを注入される。
この作品を日本に紹介してくれた、翻訳者の岸本佐知子さんにも感謝。
続編の「すべての月、すべての年」も、珠玉の短編ぞろい。
もともと原作”A Manual for Cleaning Women”を2冊に分けたものなので、両方読んで一冊分となる。
こちらもロックンロールな人生(客観的には壮絶な人生と形容したいが、そういう表現がルシアにはそぐわない)が投影されているが、前作では知りえなかった背景などがより補完される。3度目の夫のヤク中ぶりや、母への複雑な思いや、がんで余命わずかの妹との日々、とか。
緊急救命室勤めの経験から、そこにくる移民や社会の底辺の人たちの出来事も描いている。そういう人たちにルシアは常に分け隔てがない。しかし白衣の天使像とはまるで違う。
かっこいいのは、50代以降になっても女として恋をして、その瞬間は後先考えずはまるようでいて、最後には一人の孤独を強く生きるところだ。
最終章の「B・Fとわたし」では、70代の話として、住んでいるトレーラーハウスのトイレの床のタイルを張り替える職人に、エロティシズムを感じる。
しかし、声のイメージに反してやって来たのは、太って、年取って、ぜいぜ
い言いながらアルコールと汗で臭い職人だ。なのに、
ああ、これは「掃除婦のための手引書」の第一編の「エンジェル・コインランドリー店」のインディアンじいさんを髣髴とさせるではないか。
そしてこれが最晩年の短編でもある。最後までかっこいい人生だ。