【本に寄せて】まひるの散歩(角田光代・新潮文庫)
角田光代のエッセイである。
面白い小説を書く作家のエッセイは面白い、の法則は今回も正しかった。
「散歩」シリーズのエッセイは、雑誌「オレンジページ」に連載されたものらしい。
一話が2ページ半と、とても短い。
いつ呼ばれるのか気になって落ち着いて読めないような、病院の待ち時間とかにものすごく向いてると思う。
さて、このエッセイ本で私が気になったのは「美猫」という言葉である。
「びねこ」と読むのだろうか。
意味するところはもちろん、美しい猫。
角田さんの飼い猫は、見た人みんなから「美猫だ」と言われるらしい。
最初、猫素人の角田さんは、猫の顔の個性についてあまり考えたことがなかったらしく、ピンとこなかった。
でも犬の顔の個性はちゃんと識別していたという。
猫にも個性があるのかと、それからはあちこちの猫の顔をしっかり眺めるようにしたそうだ。
私も猫素人であり、そのうえ犬素人でもある。
犬よりは猫かな、という程度のゆるい猫派だ。
もちろん飼育経験などない。
触れあった経験は、昔おばあちゃんが飼っていた猫を少し撫でたくらいだ。
そんな猫素人の私でも、猫それぞれに顔にも個性があるのは知っている。
「美猫」という単語は初見だが、いろんな顔の猫がいて、たしかに整った顔立ちの猫もいる。
そして実は私の場合は、角田さんと反対に犬の顔の個性が読み取れない。
犬の中では柴犬っぽいのが好みで、散歩している柴犬っぽいのをよく眺める。
しかし猫のような個性はいっこうに見えてこない。
これはどういうことだろう。
人は猫の顔の個性か、犬の顔の個性のどちらかしか、先天的には認識できない仕組みにでもなっているのだろうか。
そして両方を認識できる人は、(無意識の)努力で認識できるようになったとか。
そんなわけないわな。
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