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「楽しかったっていうなら、それでいいじゃん?」
ついに5歳の娘がニュージーランドの小学校に入学した。
いまだに靴の右と左を間違えるし、お昼寝をしないとやっていけないこともあるし、いつから始まったのか分からないイヤイヤ期は常に終わりなく現在進行形だし・・・全く小学生らしさがないのにも関わらず、顔が見えない社会が作り出したシステムというのは待ったなしで娘をポーンと小学生にしてしまった。
小学校一年生の初日。緊張のあまりトイレにうまくいけなくなることを心配しておむつで来る子も多いという話を友人から聞いていたので、夫と私は迷うことなく娘にオムツを履かせた。
当の本人も、オムツを恥ずかしがることなく、あー別にこれも快適快適ーと平常運転な様子に、ますます不安を覚える。
赤ちゃん小学生の誕生である。
そんな娘ではあるが、緊張という言葉は全く当てはまらない感じでスムーズに小学校生活をスタートしていった。
なんていったって、彼女にはお兄ちゃんがいるのだ。
学校に行けば、娘の名前を呼んでおはよう!と話しかけてくれる顔見知りのお兄さんお姉さんがたくさんいる。
小学校の敷地だって、お兄ちゃんのお迎えで何度も何度も来た場所で、教室の中に入って授業参観を一緒にしたことだってある。
それだけでない。
娘は小学校スタート時点で英語でのコミュニケーションは問題ないし、保育園で一緒だった子が同じクラスに二人もいたりする。
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夕飯を食べながら娘に学校はどうだった?と聞くと
楽しかったーの一言で、それ以上教えてくれない。
よく女の子はおしゃべりで一日の出来事をずっと帰宅後に話すという話を他のお母さんに聞くものの、うちの娘は全く話してくれない。
そこで、思わず息子に「今日、妹はどうだった?」と聞いてしまう。
すると、息子は興味なさげに
「男の子とお昼ご飯を食べていたよ」
とか
「今日は俺の友達二人に遊んでもらってた」
とか、ぽろぽろと教えてくれるのだ。
それでも、え?どんな男の子だった?保育園の同級生の子とは仲良くないのかな?年上のお兄ちゃんたちと遊ぶ時って他の一年生もいた?
などと私がしつこく聞くと、息子ははーっとため息をついてこう言うのだ。
「妹が楽しかったっていうなら、それでいいじゃん。」
と。
それはその通りだ。
人一倍の苦労を潜り抜けて成長した7歳の息子の言葉というのはなかなか重みがある。
本人が語りたいと思う以上のことを、あれこれ勝手に心配したり、期待したりして詮索するなんて、本当にお節介極まりない。相手のことを思っているフリをしながら、ただただ自分の好奇心を満たそうとしているだけなんだから。
息子に大切なことを教えてもらったあとは、私はしばらく娘が語りたがること以上はなるべく考えないように努めてみた。
とりあえず笑顔で学校に行ってくれて、脱走をすることなく、下校のチャイムと同時にニコニコで教室を出てきてくれている。それで十分じゃないか。
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しかし、そうして娘の新しい小学校生活に安心し始めた矢先、娘の不登校宣言が発動された。
小学校入学から大体1週間くらいがたったころである。
朝ごはんを食べながら娘が、もともと保育園で一緒だった女の子が
「私にLoser Pantsって意地悪をいうの」と教えてくれた。
そうかーそれでどうしたの?と聞くと
私はもうその子と遊ばない、という。
そして遠い目をしながらこういうのだ。
「保育園に戻りたいなー」
まあ一瞬の気の迷いだろうと信じて・・・というか信じたかったけれど、現実は残酷だったことが10分後に明らかになるのだ。
私がせっせと着せた制服を娘が全部脱いでしまい、再度慌てて着せ直す。すると、また娘がすっぽんぽんになるというのを懲りずに何回も繰り返した後、娘が大声で学校に行かない!!と泣き叫ぶ声が家中に鳴り響く。
それでも行ってくれないと困る私はなんとかかんとか制服を戻して、娘を抱えていつもよりもずっと遅くに家を出た。
小学校に行きたくない!と言い続ける娘の手を引いてようやく教室につけば今度は、ママとお別れしたくない!と号泣して手に負えない。担任の先生に加えて、学年横断型の全体主任みたいな先生がやってきて娘を私から引き離してなんとかなだめようとしているのだ。
昨日まで学校が楽しいと言っていた娘は、目の前で大粒の涙をぽろんぽろんこぼしながら英語で嫌だ嫌だと泣き叫んでいた。
お兄ちゃんが開拓してくれた後の道を進むからって、別に全てが楽なわけじゃない。そう娘は全身で訴えていた。
日本からいきなりニュージーランドに連れて来られて退路を絶たれた息子は、こっちの小学校に入って頑張る以外の選択肢もなかった。
一方で、娘については少し前まで自分が大好きなお友達と先生に囲まれる充実した保育園生活をここで送っていたのだ。その時の楽しい日常がすぐ手を伸ばせばまだそこにあることを知っている。
息子と娘、どっちの方が過酷な現実に直面しているか分からない。
また、英語が分かるというのも辛い側面があるように見える。
例えば、息子の場合は、どんな意地悪を言われていても、英語が理解できなかったから、その意地悪をまに受けることはなかったようである。
一方で、娘の場合は、英語が分かるだけに、周りの子からの意地悪を理解できてしまう。他にも周りの先生や子どもたちも他のこと同じように英語ができる娘に対して容赦なく「普通」を期待してくるのだ。
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大泣きでお別れした娘が心配だったその日はいつもよりも15分早くお迎えにいった。
そしてこっそり、クラスルームの外から教室での娘の様子を観察してみた。大丈夫。もう泣いていない。
一人でポツンと輪から離れて寂しそうにしているわけでもなんでもない。
ちゃんと集団の中に入って一生懸命先生の話を聞きながら、言われた通りのことをしているではないか。
と思えば、先生の隙を見て、先生がそれまで座っていた大人の椅子に、いたずら顔でちょこんと座ったりして相変わらずのマイペースぶりを発揮していた。
楽しいと言ったら、それ以上詮索して心配する必要もない。
同時に大泣きしていたからといって、その後にも辛い状況が続いているだろうと想像して本人以外が勝手に悲しくなることもない。
子どもたちは、自分の力で一瞬一瞬を一生懸命に生きているのだ。子どもを思い切り信頼する強さこそ私が身につけるべきことじゃないか。
ちなみに、不登校宣言した翌日は、娘は前日のことなんかケロッと忘れて自分でしっかりと制服を着て、ニコニコ笑顔で家を出た。学校までの道のりは私や息子をおいて、一人でスキップをしてどんどん先に進んで行ってしまうのだ。
そんな娘の後ろ姿 を私の方は「楽しかったっていうなら、それでいいじゃん?」という息子の言葉をこれから何度も思い出すことになるのだろうなと思いながら眺めていた。
【NZ旅を家族で楽しむ!】もともと旅が大好きな私たちですが、ニュージーランドに来てからもたくさんの旅を楽しんでいます:)
最初のうちは初めての旅で、色々となれないことに苦労したりしたのですが、そのような経験を経て、NZで子どもたちと快適に旅を楽しむ方法を見つけつつあります・・・!
子どもたちと一緒にNZの旅行を満喫する方法をギュギュッとお伝えしています!
https://youtu.be/8ZR6zb-sOKc