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006.自由という名の正体

フォークに生まれたら
刺せばいい
スプーンに生まれたら
掬えばいい
明確な目的を持って生まれた無機質たちは
何も悩まないでいい代償として自由を失った

それなのに
何の目的も持たずに
生まれた僕たちは
限りなく自由であるはずなのに
勝手に自分たちで作った法律や組織に縛られて
昨日からの仕事に時間を殺され続け
「不自由だ」と嘆きながら職場に向かう

そのうち
視覚さえ、
触覚さえ、
味覚さえ、
嗅覚さえ、
聴覚でさえ
不自由だと勘違いし、
今朝
急いで食べたパンの味も
既に忘れている有り様だ
全てを捨て去れば
自由になれるだろう
それでも現在の文明が
それを許さないだろう
即ち、今の文明は人間にとって不適切なのだろう
少なくとも”一部の人間”以外にとっては。

では、その”一部の人間”とは誰のことだろう?
それは皆を不自由の檻に閉じ込めている監修員
自分たちだけで世界を廻していると勘違いしているのかもしれない
裕福という偽物の幸福を餌として巻き
承認欲求という飢えを植え付けて
僕たちは今日も”一部の人間”に踊らされている
もうみんな薄々は気付いているだろう
それでも行動できないのは

動物園の檻の中で育った僕たちが
いきなり野生の森に放たれたって
生きていけないだろ?
餌の採り方、寝床の探し方、森の掟。
何も知らないのに生きていける訳がない
一部の人間”はそれを知っている

だから何も考えず、社会のルールを忠実に遵守する人間が
優秀だとされている世の中において
表面だけの世界ではなく、
裏側の世界も知り、
疑いながら自分で調べる事が大事なんだ
そして資本主義の本質を学ぶ事で
僕たちだって野生で暮らせるはず
そこにはみんなが想像していた自由が転がっている
そう、自由とは与えられるものではなく
自分から拾い集めるものなんだ
その本質を掴んだ瞬間に
本当の自分が見つかる
それは同時に
自分がどうして生まれてきたのか?
その明確な理由がきっと見つかる
そうして人間は次の次元に向かう事ができる
その為の教えを説いているのが仏教だが
あまりにも難解に書き過ぎて
お釈迦様も今頃後悔しているだろう。

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