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光野朝風
2016年9月5日 01:49
まことしやかに、うわさが立った。最初はとても曖昧だったが、徐々に見る者も多くなった。うわさが尾びれをつけるものとは明らかに違う。 門司港駅の駅員の間で、ホームに日に二度、赤いコートの女が立つとのことだった。 何故一乗客のことが噂になったかと言うと、春夏秋冬決まってコートを着ている、と言うのだ。だが夏近い頃と、秋ごろには出てこないのだと言う。 冬や春先、秋の終わりならばコートも気に
2019年3月27日 08:54
一匹狼。いや、一匹猫だった。 影からそろりと日向に出る。ビルや建物の直線が切り取り彩った影と光の中、一瞬だけ自分を押し殺したように歩いていく。「そういや、最近ミケのやつを見かけにゃいな。俺にも何度も突っかかってきやがって。随分と目つきの悪いやつにゃったが……。あんな見てくれから喧嘩っ早そうなにゃつは、どっかのボス猫にでもコテンパンにされて街を去ってるだろうにゃ」 一匹猫は斜に構える。音
2018年8月20日 17:13
我亲爱的弟弟。你看过我的作品了吗?璀璨的世界照射着人们、树木、鸟儿和我。 在这耀眼的世界里,我的烦恼终于渐渐加深。毫无疑问,你看过的这幅作品是我这一生中最杰出的画作。 在这美丽的世界里,我抑制不住地想要成为丑陋的存在。 为何无人理会我的作品?我的有些朋友,像是阿谀奉承似的地夸奖了我本人,却对我的作品毫不理睬。我的生活已经逐渐达到痛苦的巅峰。 难道说,艺术不值得人们付出金钱吗?在这个任
2018年5月30日 04:33
我在思考,「旅人」和「旅行者」二者之間有怎樣的區別。 這兩個詞在字典上的意思是相同的。然而,當「旅人」這個詞讀作 たびにん 的時候,它的釋義中出現了「賭徒」和「江湖商人」等詞語。 「江湖商人」又被稱為「攤販子」。現在提起「攤販子」,我們可能會想起那些在祭典上經營章魚燒和炒麵小攤的小販。他們長得有點像黑社會的人,還因「賣蟾蜍軟膏」等事為人們所熟知。 那麼,舊時的「賭徒」和「江湖商人」擁
2018年5月29日 05:21
打ちのめされた精神には、立ち上がるための気力さえもなかった。「何故正しいことをしようとしたのに、逆に排せられなければいけないのか」 太が考えた「正義の代償」は、窓際族よりも激しい差別だった。結局、仕事を続けることもできず、会社を退社することになった。 体が重かった。歩くのも、体を引きずっているようで心が重力を何倍も感じているようだった。地面に擦り減った体のシミがべっとりとついていくよう
2018年4月29日 06:22
親愛なる弟よ。僕の作品を見てくれただろうか。燦然とした世界は人も木も鳥も僕も照らしているのだ。 眩しいぐらいの世界に僕の悩みはいよいよ深くなろうとしている。君が見てくれた作品は間違いなく生涯の中での僕の最高傑作だ。 僕はこの美しい世界の中で、たまらなく醜い存在になろうとしている。 何故誰も僕の作品に見向きもしないのだ。一部の友人が、まるでおべっかを使うように褒めてはくれるが、僕の作品を
2017年12月9日 09:00
中瀬が病室に姿を現すと付き添っていた母親は瞳を潤ませた。 六年ほど、ろくに実家と連絡を取っていなかっただけに、母親も帰ってくるとは思わず少し驚いたように目を見開いたがベッドに眠る父親に目をやる。「容態」 母親への言葉は、あまりにもぶっきらぼうだった。「父ちゃん、医者嫌いだろ? だからずっと体痛いの黙ってたんだよ。大腸ガンが体中に転移していて脳にまで転移してるって。もう手の施しようがないっ
2017年10月31日 00:55
将和は努力や実力を中心とした成果主義の場所で生きてきたため宗教的な慣習、初詣すらも行かない人間だったが、前の仕事を突然辞め、北九州に響子と一緒に暮らすようになってからは休みの日を利用して、よく出かけるようになった。 妻の響子は結婚当初から子供が欲しいと願っていたが、十二年間叶わず仕舞いだった。いつか、とは思っていたが多少の焦りもある。しかし一度決めたら変えない夫の性格を思うと強くは伝えられ
2017年10月3日 06:50
門司港が旅の終わりだった。 ただ一作。中編の小説で、生涯名の売れなかった作家が残したものだった。 祖父が老衰でついに亡くなり、遺した一軒家に僕が移り住むことになったのだけれど、家の中を掃除している時に階段下の物置からダンボールが見つかった。 中には母親の中学生時代の日記。 まさか自分より年下の時の母の日記が読めるとも思わず、いけないと思いつつ読んでいったけれど、随分と
2017年3月19日 02:25
「え? 分裂騒動ですか?」 写真家団体のメンバーが写真の使用に関してのことで次々と脱退し、幹部クラスの人間も出ていて男性主催者は、まるで悪人のように言われていると言う。 主催者から問題が起こっていることを告げられた時、作家は腹立たしく思った。「お似合いじゃないですか」 主催者は傷ついたのだろう。一瞬の沈黙の後「君、そんなこと言うもんじゃないよ」とムッとしたが、この事件は心底胸に
2017年3月8日 16:05
採銅所駅の駅舎は大正四年三月(千九百十五年)に建てられたが、当時としては珍しい洋風の木造駅舎だった。 正子が文雄に出会ったのは国鉄添田線から日田彦山線に変わった年だった。きりのいい千九百六十年という年で二人ともよく覚えている。 前から通勤で両者とも駅を使っていたが時間帯が少しだけずれていて会うことはなかったが、文雄の通勤場所が四月から変わったため、乗る電車が同じになった。 駅舎の
2017年3月1日 22:15
「いやー、先生。さすがですよ。北九州でサイバーパンクだなんて思いもつきませんでしたよ。でもなー、いえね、いいんですけどね、今回の主人公は少し思想的に弱いというか、これじゃあそこらへんにいる若者みたいで薄っぺらい感じなので、もっと社会や国家と個人との戦い、みたいなところまで書いたら作品の厚みもぐっと出ると思うんですよ。あ、それでですね。次回の原稿の締め切りは二週間後の十七日なんですけど間に合いま
2017年2月25日 14:30
石橋終於得空,與老友一起坐下來喝酒。而對面的朋友卻沒什麼精神,石橋心裡很在意。 起初,兩人喝的是啤酒,觥籌交錯之間快要喝到清酒時,石橋開口說話了。 「看你這個樣子,是出什麼事了吧。」 「誒?」 任職外科醫生已有十年。石橋也經歷了許多難以言說的事。 若像年輕時候一樣問他「出什麼事了嗎?」的話似乎有些奇怪,於是,石橋又換了一種問法。 「你有什麼想和我傾訴的嗎
2017年2月25日 14:26
久しぶりに飲む都合がついた石橋は、旧知の友人と座敷で席を共にしているのに、呼んだ側の友人に元気がないことが気にかかっていた。 最初はビールから入り、杯が重なり二人とも日本酒に差し掛かった頃石橋は話を切り出した。「そんな様子だと何かはあるよな」「え?」 外科医になってから十年経つ。石橋にこそ「何か」を言い表せないほど色々な事があった。 昔の若い時のように「なんかあったのか?