ひまわり
親愛なる弟よ。僕の作品を見てくれただろうか。燦然とした世界は人も木も鳥も僕も照らしているのだ。
眩しいぐらいの世界に僕の悩みはいよいよ深くなろうとしている。君が見てくれた作品は間違いなく生涯の中での僕の最高傑作だ。
僕はこの美しい世界の中で、たまらなく醜い存在になろうとしている。
何故誰も僕の作品に見向きもしないのだ。一部の友人が、まるでおべっかを使うように褒めてはくれるが、僕の作品を買いもしない。僕の生活は今まで以上に苦しいものになりつつある。
芸術には、金を払う価値がないのだというのか。今や誰もが芸術家になれる中で、僕は特に時代やら、人の関心やらに取り残されていっているのを感じる。
まるで、君以外の人間は僕のことを忘れてしまうのではないかと恐怖してしまうほどだ。
見てほしいのだ。僕の心は汚れ、ただれていったとしても、僕の作り出した作品だけは命の輝きに満ちている。
僕は君が認めてくれるように、僕自身もこの作品を作り上げたことで、新しい世界を見出そうとしている。
だがそれは新しい葛藤の始まりなのだ。
弟よ。僕は君を憎みもした。ほとんど僕の作品を売りもできず、ただ君のすねにかじりついているような状態に怒りと惨めさを感じているほどだ。隣人は奇異の眼差しで僕を見つめ、僕が感じ取ろうとしている世界に目も向けようともしない。毎日の自分のことに精いっぱいなのだ。何故なのだろう。
僕は不器用な人間だ。語る術を持たぬものだ。
僕にできることと言えば、作品を作って世に示すことだけなのだ。
しかし、その手段さえ僕には正しいのかどうか、わからなくなるほどに、僕は孤独を感じている。今沢山の作品のアイディアがある。作りたくてしょうがないのだ。それなのに矛盾している。まるで、ある熱が高まれば高まるほど対極にある感情も高まってくる。
迷いではないのだ。僕が本当にここに存在していいのかどうかの葛藤でもあるのだ。存在意義そのものの問題なのだ。
工場でも働いた。肉体労働も多少なりとも頑張ってみた。はるかに給料の良い知的な労働もしてみた。どれも僕の魂を潤すのには足りなかった。作品を作れない間は、僕はとても虚しいのだ。君ならばわかってくれると言うつもりはない。誰かに僕の叫びを伝えたかったのだ。
風に吹かれる黄金のさざ波は秋の小麦畑よりも雄々しく目を見開いている。夢に迷うことを忘れ純朴に突き進む魂によく似ている。力強い足で大地の鼓動を感じている頼りがいのある親の姿にも似ている。遠くまで姿を誇示せんとする鳥たちの歌声のようでもある。
弟よ。僕は確かに美しいものを見ている。僕の眼差しが真っ直ぐであるかどうかは、君も僕の作品を見て理解してくれるはずだ。たとえ僕という人間が歪み薄汚い存在であったとしてもだ。
僕はこの世界を確かに愛していると感じているが、僕が僕自身を愛しているかどうかは、いつもか弱い灯のように儚く燃えている。
僕は本当にダメな男だ。人間として生きていくために立つにも地面がもろい。
だが何とかしても伝えたいことがある。世界の燦然たるものを感じ取れないのは目をつむりだしているからなのだと。感受性や才能の問題ではないのだと。
君が僕の作品を感じ取ってくれたのと同じように特別な訓練など何一つ必要ないのだと。
どうか僕の手紙を何度も読み返してくれ。
僕は作品を作り上げた。そして君と、僕の知らない誰かに、どうか僕が見ている美しい世界の存在に気が付いてくれるよう、僕はもしかしたら最後になるかもしれない魂の訴えを書いている。
弟よ。
心してくれ。
世界は美しく、そこにある。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2017/07/blog-post_26.html