にゃんとした生き方
一匹狼。いや、一匹猫だった。
影からそろりと日向に出る。ビルや建物の直線が切り取り彩った影と光の中、一瞬だけ自分を押し殺したように歩いていく。
「そういや、最近ミケのやつを見かけにゃいな。俺にも何度も突っかかってきやがって。随分と目つきの悪いやつにゃったが……。あんな見てくれから喧嘩っ早そうなにゃつは、どっかのボス猫にでもコテンパンにされて街を去ってるだろうにゃ」
一匹猫は斜に構える。音と気配がする。光の中、彫像のように固まって気配をうかがっている。
ベビーカーを目にすると「人間のガキが入っているやつだな」と察しがついた。汚いものを払うように扱われるため、面倒はごめんだと去ろうと足を二歩進ませた時だった。
仲間の声を聞いた。
それもどうにも甘ったるい、腰の抜けそうな軟弱な声だ。
「ケッ」
毛玉を吐く時くらいの気持ち悪さだった。毛が逆撫でされたくらい居心地が悪い。
どんなツラしたやつが、あんな反吐の出そうな鳴き声を出せるのか。
「あーらら、お腹空いちゃったのかなぁ? はーい」
と、随分と着飾った女が平べったい棒状のものをベビーカーへと近づけると三毛柄の猫がヒョイと顔を出す。
「ん?」
見覚えがある。思い出すのに、いや、以前のイメージから推測するのに五秒かかった。
「にゃっ! にゃんと!」
あの喧嘩っ早いミケだ。しかし目が輝いていて真ん丸に見開かれている。
「カッ! カッ! ゲェッ!」
毛玉が出てくるのかと思うほどむせ返った。
ベビーカーのミケは至福の表情を浮かべて棒の先を舐めている。以前に使われていた猫を威嚇する眼光はうっとりと細く垂れ下がっている。
舐めていた舌を止め、ミケはこちらを一瞬見て「ああ、あの時の汚いの」とでも言わんとばかりの見下した表情で流し目をくれる。
一本一本が引き立つ毛並み。ツヤがあって張りがある。いいものを食べていないと、あの質にはならない。自分がどれほど気を使い毛並みを揃えても、ああはならなかったのに、あいつときたら、あいつときたらっ!
「帰ったらちゃんとご飯あるからねぇ」
頭を三度撫でられたミケは心地良さそうに目を細める。
くそっ! あいつっ! あいつっ!
正直羨ましかった。
一匹猫は苦労する。仲間と飯の取り合いだし、喧嘩にも勝たなきゃいけない。
強く賢く警戒深い猫じゃないと生き残れない。
だけど違う生き方もあるものだ。牙を抜かれたのではない。機転を利かせたに違いない。
今更人間に好かれる生き方なんてできるのか。人間に好かれれば、可愛がってくれる人も増えるかもしれない。いい食事にありつけるかもしれない。
「人間に好かれるようにするにゃ!」
吠えるように長く鳴いてみた。毒気を抜き、威嚇するようにではなく、しなやかに歩いてみよう。
人間の気配がする。まずは自己アピールだ。
一匹猫は歩いてくる人間に瞳を流してみた。
建物の影から躍り出た太陽の光の中で。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.com/2015/06/blog-post_2.html