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玉樹(中国)2005


玉樹 ジェクンド Jyekundo, Yushu

 今からおよそ10年前の2010年4月。私にとって驚くほど悲しいニュースがネットから流れてきて心が鉛のように重くなった。青海地震だ。震源地の玉樹(チベット語 ジェクンド Jyekundo、中国語 ユーシュー Yu Shu)では家屋の90%が倒壊し、死者は統計的に2698人を数える。玉樹にある独特の景観を持つサキャ派の名刹も崩壊した。どうして玉樹に思い入れがあるかというと、その5年前に玉樹のホースレースに撮影に出かけた。この時が自分にとってのチベットデビューであった。チベットエリア特有の青空にどこまでも広がるチベットの草原、人気のない小高い所でも仏塔やタルチョがあったりして信仰というのが生活だけではなくその土地にしみ込んでいるという不思議な独自の景観に心奪われていたからだった。初チベットに心をわしづかみにされ、それから実際に何度もチベットエリアに足を運ぶきっかけとなったのもこの玉樹での経験があったからなのだ。ホースレースの夜、現地の人たちは言葉の全く通じない私に「これを食べていきなさい!」みたいに色々ごちそう振舞ってくれた。チベット人は厳しい環境で生活しているので困ったときに助け合う精神が発達しているというが、困ってなくても来客には温かいもてなしぶりなのであった。私はとりあえず言葉が通じないので腕に「日本人」と書いておいた。私が中国の他のエリアか韓国なのか分からないのは困るだろうと思ってのことだ。しかしきっと私がどこの国であったとしても変わらなかったであろうと思う。そんな現地のことを思い出しながら悲しいニュースに心を痛めたのだ。初チベットで思い出のある玉樹が大地震によって街だけでなく、私の心をも崩壊させたのである。

 今年はその青海地震の10周年となる節目の年だ(執筆当時 2020年)。地震前と現在では結構状況が変わってきている。今は見ることできない震災前の貴重なジェクンドの様子をホースレース中心に紹介したい。

 

 


ジェク・ゴンパ(結古寺)

 サキャ派の名刹。サキャ派というのはチベット4大宗派の一つであり、チベット自治区のサキャというところに総本山があるので地名がそのまま宗派の名前になっている。ちなみにダライ・ラマが所属するのはゲルク派といってチベット仏教における最大宗派だ。そしてなんといってもこのサキャ派は僧房の外観が実に特徴的。灰色の壁にエンジ色と白のラインが縦に入る。灰色と書いたが宗教的にはこれは藍色(あいいろ)ということになっている。そして白は観音菩薩を、エンジ色は文殊菩薩を、そして藍は金剛神を表しているという。



 震災で崩壊後に再建されたが、現在は僧房がコンテナのようにきちっと並ぶような感じになっていて、当時の外観は失われてしまった。


チュジェゴンパ(竹節寺)

 別名マニ石寺。マニ石とは真言(オン、マ二、ペメ、フム:阿弥陀仏の意)や 各種の仏教経典などが刻まれている石のことで、それを聖地に奉納することで徳を積むことになるとされている。長年にわたりここに奉納されたマニ石はなんと25億!!ともいわれている。世界で最もマニ石があるとされている場所でもある。


文成公主廟

 7世紀に唐からこの地を治める吐蕃(とばん)に嫁いだ文成公主(ぶんせいこうしゅ)を祭った廟。

 唐の時代、太宗(たいそう)皇帝は西の国境地帯を統一したいと考え、チベット王国の吐蕃からの要求で文成公主(唐の皇女)を送ったのである。つまり政略結婚である。当時では珍しくなかった。しかし文成公主はその後においても波乱万丈の人生を送ったようである。

 そもそも豊かな西安から比較的僻地とされるラサに環境どころか文化も全く異なるチベット世界に政略結婚とはいえ生涯を捧げないといけないわけである。この当時はきっと自分の人生というものが政治的にどうしようもないケースがよく起こったことであろう。文成公主は吐蕃と呼ばれる当時のチベットを治めていたソンツェン・ガムポ王の子供であるグンソングンツェン皇子に嫁ぎ、世継ぎであるマンソンマンツェンを儲けるも、なんと即位後のグンソングンツェン王は落馬が原因で崩御となる。前王で父のソンツェン・ガムポがやむを得ず再即位し、文成公主と3年後に再婚。つまり夫の死後になんと夫の父と再婚したことになる。しかし再婚するも数年後に崩御。その後は息子のマンソンマンツェンが即位するも先に旅立たれたらしい。二人の夫と息子を失った悲しみは想像絶するものがあったはずだ。彼女は日頃から釈迦如来を崇敬(すうけい)していたことや、夫である両王から信頼され寵愛を受けていた逸話も多いなどから、当時のチベット世界から崇拝され、さらに伝承では観音菩薩の体から放たれた光が唐の皇居にいた姫の胎内に入り、それが元で生まれたとされるほどだ。

 


ホースレース

 チベット人の一大イベントといえばホースレースだ!もちろんチベット正月のロサールも重要だろうけど、これだけ多くのチベット人が一か所に集まりみんなで祭りを楽しむというのはそうそうないだろう。昔は多くの人が一か所に集まるので結婚相手を探す場としても重要だったようだ。

 現地に行って目に留まるのは何といってもド派手にゴテゴテの装飾品を身に付けさせられた子供達。親がこれでもかこれでもかというぐらいにありったけの宝飾品を子供たちに着せるのである。これは家柄の富を見せるためということもあるようだ。なお青はトルコ石、黄色は琥珀、赤はサンゴだという。本物かどうかは分からないが。石だけではなく金属の宝飾品も気合が入っている。全体が繊細というよりも重厚な感じがするのがチベットっぽい。それに細かいデザインが施されている。かなり重いので時にバランスを崩して転ぶ子供もいるぐらいだ。

  後日教えてもらったことだが、チベットは当然ながら海から遠く離れている。すると海から採れるサンゴをどのように運んだのかが気になる。これらのサンゴは大部分がタイ産らしい。そしてタイからラオスを通り雲南省のシャングリラ(チベット文化圏の最南)に運ばれあとは茶馬古道にそってラサをはじめチベット各地に運ばれたようである。

 


 チベットの民族衣装はチュバと呼ばれ、特徴的なのは袖が長いことだ。チベット高原は気温の変化が激しく、暑いときには袖をめくり上げればいいので気候上この方が便利なのであろう。夏用は絹で作られ、太陽の日差しの下で美しく輝いていた。そしてこの長い袖が踊り時にとても映えるのである。長いチュバの袖が手を振り上げる度にテープのように宙に舞い、流れていく。この美しさというのは静止画よりも動画の方じゃないとうまく伝わらないと思う。


 現地のチベット人はホースレースが行われる期間は草原に巨大テントを張って家族とともに一週間前後の祭りの賑わいを楽しむ。このテントというのが実に特徴的で白の無地、又は白地に黒で真言などが書かれている独特のデザインのものだ。これが集結する家族分建てられる。つまり普段は何もないはずの草原にいきなり膨大な数のテントが出現するのだ。近くの山に登りテント村を眺めると実に壮観な光景が広がっていた。標高3700mものジェクンドの山の澄み切った空の下に現れた白いチベット人の住処(すみか)はいかにも天空の村という表現がぴったりなほど美しかった。

 なお私はテント村の写真の次の写真に写っている小さい黄色のテントに泊まった。


 ホースレースは現在様変わりしてしまった。これは玉樹だけに限らないが、昔のような地元民が楽しむようなものから、立派な競技場でパフォーマンス的に行われるスタイルに変化し、ロープ規制で自由に中に入れなくなってしまったのだ。「古き良き」という言葉があるがここジェクンドではただの懐古ではなく実に真実のようにも聞こえる。ジェクンドの人々が震災で失ったものは実に大きい。多くの人命や街だけでなく、伝統的な部分までも失いつつある。普段は昔の写真をこのように紹介することは基本的にはないのだが、今年は震災後10周年ということもあり、鎮魂の意味を込めて紹介してみた。昔の知られざるジェクンドの姿を少しでも知っていただけたら幸いである。

 

 

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ホムペ
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