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生活の荒波を乗り越える、セルフコンパッション

11月に勢いよく書き始めたnoteですが、12月の頭に義兄が亡くなったり、息子の進学先(小学校)の決断があったり、子供たちの度重なる体調不良などあり、なかなかコンスタントに書けずにおりました。

高齢出産だからすぐ疲れるのかなあ…としょんぼりする瞬間もありつつ、荒波を「セルフ・コンパッション」を片手に乗り切り、やっと諸々が落ち着いてきたところです。

実は私、10年前から瞑想を断続的ではあるのですが続けていて、その瞑想とセルフ・コンパッションの関係がやっと腑に落ちて、そして瞑想が格段にしやすくなりました。

突然不妊治療と関係のない内容、かつ、またまた(?!)文字多め&長めの文章になってしまいましたが、瞑想に興味がある方、日常の荒波に揉まれやすい方のヒントになればと思って書きました。

大変だった出来事

義兄の死去

11月下旬に交通事故に遭った義兄(姉の夫)が50代で亡くなりました。ほぼ脳死に近い状況になってから数週間での経過でした。

これを機に、私と姉、私と母の関係について、改めて考えさせられました。

ここ数年で、私は、姉と母と気が合わないのかも?と気づき始めていたのですが、そんな中での家族内大イベント。

もっと助けに出ればよかったのかもしれませんが、私もいっぱいいっぱいだったので、できる範囲で、できることだけさせてもらいました。

本来ならば通夜と葬儀に出席すべきところ、子供が小さいことを理由に、通夜だけで、それも子供達に無理がない範囲で、短時間の参列させてもらいました。
このような形での参列を理解してくれた姉には大変感謝しています。

常識的な「こうあるべき」に囚われず、自分と家族にとって心地よい選択をとれたこと、疲れつつも、そんな自分をヨシヨシしながら日々を過ごせたことを良かったなと思っています。

あまりに疲れた日、「米食うぞ〜!」でモリモリ食べたシンガポールチキンライス


息子の小学校

息子の小学校進学先について大きく悩みました。地元の公立小か、隣町にあるオルタナティブスクールか。

結論から言うと、オルタナティブスクールを「諦め」ました。

当初、「諦め」るつもりはなく、公立小にも十分な魅力があって、「どちらがいいのかな?」と本当に並立で考えていたつもりでした。

ただ、決断後に改めて考えていると、「本当はオルタナティブスクールに行かせたかった。でも経済的に自信がなくて諦めた」、と言うのが本当のところかもしれないなと思うようになりました。

いや、でも、子育てに正解なんてない。選んだ道を正解にしていくだけ。
もし経済的に諦めたとしても、経済的に安心な道を選ぶことが悪いわけじゃない。

実は、私、以前に保育園転園でも激しく悩んだことがあり、自分の選択が間違っていたんじゃないかと、自分を責め続けた時期がありました。

今回も、「諦め」てしまった自分を残念に感じないわけではないのですが、自分を執拗に責めることはせず、「仕方がない。そう言うこともあるさ。もし失敗だったとしても、またきっと取り返す機会はある。その時に頑張ればそれで良い」と思えるようになっています。

子供にはこんな景色を見ながら大きくなってほしい!


私を支えてくれた「セルフ・コンパッション」

セルフ・コンパッションとは?

直訳すると「自分への深い理解と同情」「自分への思いやり」で、なんのこっちゃ??!!という感じですよね。

個人的には、

どんな状況でもありのままの自分をそのまま優しく受け入れ、自分責めをしない

という説明がわかりやすいと思っています。

瞑想とセルフ・コンパッション

私、10年くらい前から、瞑想を間欠的に続けているのですが(毎日はできないの…)、最近になってようやく、瞑想を通してセルフ・コンパッションの練習ができることに気がつきました。

 「自分を責めない」「自分を受け入れる

その重要さは、数年前から身にしみてわかってきて、日常生活の中でも大まかにはできているつもりだったのですが、今年に入ってくらいから、細かく細かく自分責めをしていることに気づいてきました。

特に、瞑想をしているときに考え事が湧いてくる時に「また雑念が湧いてきちゃった!」と自分を責めていたことに気が付いた時には「私、こんな時にも自分を責めているんだ!」と、かなりハッとしました。

なにごとも、必要だから起きてくること。
雑念も今の自分に何らかの形で必要で、考えたいことだから考えている。そんな自分を責めないで、ただただ優しく受け入れる。

それが、瞑想を始めて10年くらいでやっとわかってきました…(遅!!!)

これに気づいただけで、瞑想の心地よさが断然変わってきます!

世界の見え方が変わってきた

まだ、このことに気づいてから日は浅いのですが、今回、義兄の死、息子の小学校の選択(義兄の死と並べてごめんなさい…)という、自分にとって重い出来事が重なって、

今までの私なら、自分を色々な角度から眺めては、自分を責めて落ち込んでいた、と思う場面で、自分を責めずにいられています。

チクチク自分を責めていた私にとって、これは大革命で、なんと世界が過ごしやすく、優しい世界になったものかと思っています。

そして、これは、子育てにも大きな影響を及ぼすと思っています。

私の場合、子供の良い将来を願うばかりに、よい判断ができなかったのではないか?と自分を責めて落ち込んでしまい、子供達に対しても、落ち込んだまま接してしまうことがよくありました。

この例はともかく、母親が子供に対し、あまりよくない対応をしてしまうシーンの多くは、母親の自分責めの気持ちから生じているのではないかと思っています。

なお、「自分責めをしない」というと、自己擁護のように思われる方もいるかもしれません。この辺は、説明すると長くなるので、興味のある方は以下の本など参考にされてみてください!私にとっては多くの気づきがあったセルフ・コンパッションの基本の本ですが、他にもたくさんの関連書籍があります。

私もまた書いてみたいと思います。

おわりに

2400字超え…もう少し短くできないのかよ?!と思いつつ、とりあえず出します〜!どなたかの参考になったらいいなの気持ちを乗っけつつ。

感想や質問などありましたらぜひお寄せください。

寒くなってきたので、皆さんも体調に気をつけて、いよいよ迫り来る年末年始を無事に乗り切りましょうね!



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